『地の文』の意味とは?
地の文(じのぶん)とは、小説にでてくる文のうち、セリフや会話文ではない文のことです。
読み方は、「ぢのぶん」または「じのぶん」です。
例えば、以下のような文章があったとすれば、青字の部分は、全て地の文ということになります。
助手席にちょこんと行儀よく座っている可哀想な囚われのお嬢様は、咲き乱れたひまわり畑を照らす太陽のような笑顔で、こちらを指差してきた。
「ゴリラ!」
いや、僕は決してゴリラではない。がたいが良いわけでもないし、意気ようようと胸を叩いて類人猿の仲間入りを果たす正式な手続きも踏んだ覚えはない。正真正銘のピュア・ボーイだ。これはあくまで、しりとりであることを忘れてはならないのだ。
引用元:天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – プロローグ:誘拐犯は決意する
▼ 以下、正確性確保のため、辞書より引用したものも掲載しておきます。
じのぶん【地の文】
小説や戯曲などで、会話や引用などを除いた文章。
引用元:大辞林 第三版
とっても、簡単ですね!
さて、意味を理解していただいた次は、初心者にも使える秘伝の『地の文』の書き方について、
わかりやすく解説していこうと思います♪
目次
> 地の文が上手くみえる書き方とは?
> 婉曲(えんきょく)とは?
> うまい地の文には、婉曲表現が多い
> 地の文の種類をおさらいしよう!
> 地の文の練習なら、細分法!
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地の文が上手くみえる書き方とは?
小説を書き始めたばかりの人に、よくあるのが「台詞部分を書くのは楽なんだけど、地の文が中々書けないんだよね」といった状態なのではないかと思います。
実はこれ、一般的に素直な日本人であれば、ごく当たり前のことだと思うんですよね。
なぜなら、地の文をうまく書こうとすると「言い訳を考える」のと、よく似たプロセスを辿るからです。
「地の文を書くのが、どうしても下手なんだよなぁ」という人は、むしろ一度胸に手を当てて、自分の誠実さを褒め称えるべきではないか、とすら思うのです(笑)
さて、では何故、「地の文を書く技術」と「言い訳」に関係性があるのでしょうか?
その理由には、言い訳や屁理屈を使う際に、陰ながらよく使われている
「婉曲(えんきょく)」という表現技法が関係しています。順を追って、ゆっくり見ていくことにしましょう!
婉曲(えんきょく)とは?
婉曲(えんきょく)とは、露骨な表現を避け、物事を遠回しに表現することです。具体例を見ていくことにしましょう。
~ 婉曲の具体例 ~
言いたいこと:資料を確認してください。
↑の婉曲表現:資料を確認していただけますと、幸いです。
婉曲(えんきょく)というと、なんだか難しい響きに聞こえますが。要するに、あとで言い訳できそうな余地を残した表現のことです。
例えば、意地の悪い上司が居たとして、あなたがその上司に「資料を確認してください」と言わなければならないとしましょう。
この時、直接「確認してください」とだけ言うと、その意地悪な上司は「なんで僕が確認するんだっけ?」とか、言ってくるかもしれません。
そのために、わざと遠回しに「資料を確認してくれたら、私めっちゃ喜びますよ!」と言うのです。
すると、上司から「なんで僕が確認するんだっけ?」と言われたら、「私が、めっちゃ喜ぶからですけど?(ニッコリ)」と、満面の笑みと共に言い返せるというわけですね。
まぁ、実際にそんなことを言う上司にも、社員にも、なりたくないものですが(笑)
うまい地の文には、婉曲表現が多い
さて、それでは突然ですが、次の文章のうち、どれがあなたにとって最も「読みたい文」に近いでしょうか?
あくまで、小説に登場してくる文として考えてくださいね。
婉曲度合いによる文章的魅力の変化
例文A:らぴは、早朝にベッドの上で上体を起こした。
例文B:らぴは、早朝に寝具の上で上体を起こした。
例文C:らぴは、早朝に寝具の上で被っていた布切れをどけた。
例文D:らぴは、窓から明かりが差し込んでいるのを確認すると、寝具の上で被っていた布切れをどけた。
例文E:らぴは、窓から明かりが差し込んでいるのを確認すると、被っていた布切れをどけた。
例文DかEのあたりが、もっとも小説における文章としては自然に思えるのではないかと思います。
本当のことを言えば、正解は年齢や言語の発達レベルによって異なるので。一概に、どれが正解というわけでもありません。
ただ、DやEの文章は、一般的なライトノベルや文芸作品に出てくる文体と近しいものなので、多数決によって正解を決めるというのであれば、正解と言えるかもしれません。
ちなみに、例文がA~Eまであると思いますが、
Aに近づけば近づくほど事実が説明されており、Eに近づけば近づくほど婉曲表現を多く取り入れています。
このとき、別の言い方として、Aに近いほど「物語へ作者が、介入した説明文っぽい語り」、
Eに近づくほど「作者が直接、物語に介入しない遠回しな表現」ということもあります。※文体についての議論で、再度言及します。
もう少し細かく、解説していくことにしましょう!
まず、「らぴは、早朝にベッドの上で上体を起こした。」という文を、文節で区切ります。すると、以下のようになります。
らぴは/早朝に/ベッドの/上で/上体を/起こした。
そして、婉曲表現を取り入れられる箇所には、以下のように取り入れてみましょう。
- 「早朝に」→「窓から明かりが差し込んでいるのを確認したときに」
- 「ベッドの」→「寝具の」
- 「上体を起こした」→「被っていた毛布をどけた」→「被っていた布切れをどけた」(二段階の婉曲)
ここで、先述した「言い訳」が使われることになります。
「窓から明かりが差し込んでいるのを確認したときに」と言われて、それ「早朝やろ?」って言われたら、
「いや、窓から明かりは確認したけど、それが朝日とは言っていないし、太陽とも言っていない」。太陽だとしても昼かもしれないし、夜に松明や火事の火明りが差し込んでるのを見たのかもしれない。などと言い訳ができるのです。
それと同様に、「寝具は、枕も寝間着も全部含めて寝具だから、別にベッドとは言ってない」とか、「被っていた毛布はどけたかもしれないけど、起き上がったとは言ってない」というように言えるのです。
更に、毛布も「布切れ」に変えてしまえば、「毛布とは言ってない」と言い訳ができます。
うまい文章の魅力というのは、読者が想像する余地となる「文の不完全性」にあります。
中途半端にどうなっているかわからないからこそ、人は気になって自然と想像を膨らませるのです。
「ここにリンゴがあります」という文よりも、「ここに丸くて赤い果物があります」といわれた方が「なんの果物だろう?」と思いやすいのです。
このように、人間というのは事実よりも「想像の余地(=不完全さ)」に魅力を感じるようにできています。
これを哲学の世界では『ミメーシス』と呼んでいたりします。ここが一番重要なポイントです!
小説を書いていると、いろんな人に「説明文は書くな!」と口を酸っぱくして言われるのですが、
これは完璧に説明してしまえばしまうほど、「読者が欲している想像の余地」を潰すことになるからなんですね。
ただし、逆に婉曲度合いが高すぎると何を言われているのか理解されず「地の文が気持ち悪い」と言われることもあるようです。バランスが大事なのです。
とはいえ、↑の例文を見ただけでは、すぐに地の文はうまくなれそうにないですよね?これは、小説における書き手の視点によって、文体が大きく異なるからなんです。
具体的に地の文をうまくするためには、小説における視点を理解する必要があるのですが。このページでは「文の不完全性」が、文章に魅力を生み出している根元の一つであることだけ、押さえていただければ十分です!
小説を書くときの大まかな指針となる「視点」や「人称」については、以下の記事に任せることにします。
▼ 絶対わかる!小説における視点と人称まとめ
続いては、『地の文』の種類について確認しておきましょう!
『地の文(描写)』の種類一覧
小説における『地の文』の種類は、7種類(うち、描写は3種類)あります。
思ったよりも多いですね(笑)
※描写パートは、以下のうち(情景描写、心情描写、心理描写)の3つのことを指します。
ー情景描写ー
物語における光景や風景に関して描写した文のこと。
例文:絵本の最後は、ちぎり取られていた。
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ー心情描写ー
登場人物の内面を描写した文章のことで、感情を吐露している文のことです。
例文:そう言ってその場をやり過ごすことしか出来ない己の無力さをひしひしと感じながら、夢はもろく現実へと変わっていく。
ー心理描写ー
登場人物の内面を描写した文章のことで、理論や理性を主とした文のことです。
例文:一刻もはやく、止めなければ!
※心情描写が感情を主にして描写するのに対して、「~すべきだ」や「論理的に考えれば~だ」といった理論的なことが書かれているものが「心理描写」になります。
「心情描写」との明確な線引きは難しいので追求する必要は特にないですが、
心情描写と交互に使うことで焦燥感や葛藤、緊迫した状況を作り出すことが出来ます。
ー説明文ー
何かを説明している文です。例文では、少女が何をしたのかが説明されています。
例文:少女がゆっくりと起き上がろうとすると、ひと回り大きな所長の手が彼女を迎えた。
※一般的に小説においては「地の文に説明文を書くな」といわれているようですが、実際のところ市販の小説においても平然と登場してきます。
ちなみに、説明文を一切なくして書くことが難しいのは、不完全動詞を扱わないと文章が書きづらいからなのですが、これについては追々話していこうと思います。
「地の文に説明文を書くな」というのは、厳密に言えば説明文を多用しすぎず、読者が想像する余地を残せというバランスの問題です。
その本質は説明を「しすぎないこと」にあるので注意して使いましょう。
ー心の声ー
台詞から鍵括弧を取って、地の文に組み込んだものです。実際に声に出していないので、台詞とは区別されています。
独白(どくはく)やモノローグとも呼ばれることがあります。
心の声は、一人称作品(=主人公視点で話が進む小説)か三人称作品(=主人公以外の視点も描写している作品)かで、地の文への書き方が異なるので注意しましょう。
- 例(一人称):とはいったものの、大丈夫か?こいつ。
- 例(三人称):(とはいったものの、大丈夫か?こいつ)。
一人称作品においては、地の文が元々主人公のセリフになっていることから心の声と敢て区別する必要はありません。
一方、三人称においては台詞の括弧を書き忘れているのでは?といった誤解が生じやすいため()を付ける慣例があるようです。
ただし、これは慣例であって決まりというわけではないので、読者に違和感を与えていないのであれば特にこだわる必要はないでしょう。
ー擬音語(オノマトピア)ー
「ガッシャーン」や「バキッ」といった音を言葉で表現したものです。
小説において自然に擬音語を用いるのは高等テクニックであるため、
初心者のうちはあまり使わない方が良いのですが、地の文の種類の一つに違いはないでしょう。
場面転換の際や読者の注意を引く際などに用いられることがあります。
詳細な使い方などについては、以下の記事で詳しく説明しておきましたので、参考になると思います。
【▼あわせて読みたい!】
ーナレーションー
説明文の一種とも考えられますが、「語り手」と呼ばれる人物の台詞文です。
「語り手」とは、読者が理解しやすいように物語を説明する役目を果たす物語上の人物のことです。
例:砂塵が吹き荒れるなか、その男は走り続けていた。蓄積した彼の疲労は、滴となって昇華していく。
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信頼・信用できない語り手(Unreliable narrator)とは?|『語り手』の意味と主人公との違いについて解説!
さて、ここまでをしっかりと理解していれば、『地の文』の書き方で筆が止まるということは、ある程度少なくなることでしょう。
ただし、あと一点だけ、初心者が注意しておくと良い意外な落とし穴があります。
それは一体、何でしょうか?
▼ その答えは、こちら。
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