小説における擬音語の書き方・使い方!
小説を書いていると、擬音語(オノマトペ)と呼ばれる表現方法を使いたくなる場面も、出てくるのではないかと思います。
※擬音語というのは、「キキーッ!」といった作中に登場してくる音声を、文章で表現する修辞技法(レトリック)の一種のことです。
この擬音語という表現技法を小説に使用して良いかどうかについては、とても長い間議論がなされているようです。
しかし、結局のところ使って良いのか、悪いのか意見がわれているのは非常に気持ち悪いですよね。そういうわけで、今回は擬音語を使うと何故まずいことが起こるのか?
という点を解き明かしていこうと思います♪
初心者は使用を避けるべきだが……
結論からいうと、個人的には擬音語(特に、擬態語)は使用しても良いと思います。
ただし、多用する癖や読者からの指摘があれば、即座に使用を中止した方が良いでしょう。
擬音語がもたらす、最大の問題点は「文章を拙くみせてしまうこと」です。以下、例文です。
上の例文を読んでいただければ、お分かりいただけるかと思うのですが。小説の文章で擬音語を用いると、なんともお粗末な印象を読み手に与えてしまうのです。
それでは、どうして私たちは擬音語に稚拙な印象を抱いてしまうのでしょうか?
※ここからの内容は、一般的な学術的解釈ではなく、実しやかに巷で囁かれている一説を集めたものにすぎませんので、ご留意ください。
擬音語が稚拙に思われる理由
まず最初に、擬音語は言語発達の初期段階である「幼児語」と非常に関連が深いことが知られています。
日本人が生まれて初めて口に出す言葉には、「わんわん」や「ぶーぶー」といった擬音語が多く含まれているわけですね。※多くは顎の発達が十分ではないために、引き起こされる現象です。
これが、要因の一つである「言葉に対する固定観念・刷り込み」でしょう。
育児系の情報サイトをみてみるとわかるのですが、私たちは幼児語を覚えた後、徐々に大人の言語を覚えるように調整されているようなんです。
このとき、「その言葉は幼児語だから、使っちゃダメよ」と暗に刷り込まれているわけですね。
ゴキブリが気持ち悪いとされるイメージというのも、殺虫剤を売るメーカーによる刷り込みによるものだと言われているくらいですから。
この「刷り込み」というのは、人生を終えるまでの間ずっと効果を持続させるほど、強力なものになっているようなんです。
そのため、童話や絵本といった児童書の領域では、よく目にする傾向があります。
擬音語の扱いが難しい理由①
また、擬音語が小説において扱いにくい理由はまだまだあります。
次にご紹介する説は、擬音語は「こそあど言葉」の仲間と考えられるという説です。つまり、擬音語は可読性(=読みやすさ)を阻害するということです。
そもそも、文字が発達する歴史の中には「表音文字」と「表意文字」という分類があります。
伝えたいことを絵でなんとか表現しようとして文字となった「表意文字」と、同じように音でなんとか表現しようとして文字となった「表音文字」というものがあるのです。
表意文字の代表例は、中国語や漢字です。一方で、表音文字の代表的なものには、ひらがなやカタカナ、アルファベットが挙げられるでしょう。
つまり、歴史的にも言語発達の初期段階では「あぁぁ、これなんて言えばいいのかわかんねぇええ! 音か! 音でなんとか表そう!」
となって出来たのが、「ひらがな」や「カタカナ」なわけです。
その中でも、音を扱う領域にある「擬音語」というのは、とても原始の言語に近い性質を持っているのではないかという説です。
これがどういうことかというと、擬音語は新言語領域にある。つまり、新たな言語が生まれたときの最初の表現方法であるということを意味します。
そういう意味で、うまく言語では表現できないものを無理やり言語化したものが、擬音語であるという解釈です。
「こそあど言葉」の文をみていると分かる通り、以下のような文章になると何を言っているのかさっぱりわかりません。可読性の欠如を招くのです。
擬音語の扱いが難しい理由②
擬音語は、究極的なディエゲーシス(叙述)とも言えます。これによって、文章の芸術性が損なわれるというのが、もう一つの理由でしょう。
▼ ディエゲーシスについての解説は、以下の記事を参考にしてみてください。
小説においては「説明文は辞めてくれ」という読者からの切実な願いがあります。これは、読者の想像の余地を残してほしいためです。
しかし、例えば擬音語「ドッカーン」は、もはや「ドッカーン」以外のなにものでもなく。「ドッカーン」なのです。
つまり、説明文を文中に書いているのと、大差ありません。
この特徴のためか、発砲音や爆発音を表現する擬音語の後ろには高確率で「~という音がした」のようなト書きが続きます。明らかに、説明文なのです。
これにより、時に文学的芸術性が、皆無な文になってしまうというわけですね。
逆に言えば、元からディエゲーシスでしか表せないような文を擬音語で表現するというのは、説明を短縮出来るという点で有効活用できるとも言えるかもしれません。
また、新言語領域(=明確な言語が、そもそも存在しない概念たちを表現したい場合)も例外と言えるでしょう。
ただし、その場合は「新たな言語を開発するのと同じ」ような難易度なので、かなりのセンスが要求されることになります。
これがいわゆる、宮沢賢治スタイルなのかもしれませんね。
擬音語の扱いが難しい理由③
加えて、擬音語は文体の統一感を一時的に崩壊させるという説もあります。
これは、擬音語が口語なのか文語なのかというお話から来ているようです。
そもそも口語と文語の違いなのですが、口語というのは発音した瞬間に文字が消えていくので、比較的くどい表現になる傾向があります。
不必要に重複した表現を用いたり、文末を「~なのよね?」のように確認を意図する終助詞で終えることが多いのです。加えて、「え~っと」や「うーん」のような意味のない語句も出てきます。
これをそのまま文字にすると、くどい上に、二人称小説のようになることでしょう。だからこそ、口語と文語を区別しているわけなのですが。
擬音語については、口語か文語かわからないものが複数ある状態のようです。これによって、最初に小説における文調の統一感を破壊する危険性があります。
ただし、これを逆手にとった手法もあるようです。
重厚でシリアスな場面で、厳ついおっさんの携帯から「ぴよよよよ~ん♪」という着メロが鳴るといったような、緩急を付ける修辞技法として活用されることもしばしばあるようです。
擬音語の扱いが難しい理由④
擬音語の中には、汎用性が高いものが含まれているからという説です。
これは物語論(ナラトロジー)の考え方と、真っ向から対立してしまうものです。
例えば、「じゃらじゃらという音がした」と「ストラップがじゃらじゃら付いている」って、どっちも「じゃらじゃら」という言葉を使っていますが、意味が全然違いますよね。
小説で「やばい」・「わかる」・「それな」なんて言葉を使わないのに、少し似てるんじゃないかなって思うんですよ。
小説には、あまり汎用性が高すぎる言葉は使われない傾向にあります。なぜかというと、あまりにも汎用性の高い言葉ばかりであれば、物語にする必要性がなくなるからです。
だって、「あの女の人とにかくヤバい」で伝わるなら。物語じゃなくていいじゃないですか。わかりやすすぎて、物語にする必要がそもそも無くなるのではないかという説ですね。
物語というのは、言葉で伝わらないことを順を追って疑似体験させることによって伝達する手段なのです。
それに対して、「ヤバい」という言葉は「なんとなく伝えたいことわかるでしょ?」というようなニュアンスを含んだ言葉です。
もし理解できれば言葉で共感を得られるものということなので、物語である必要性はなくなりますし。
理解できなければ、ただの意味不明な文になるという。どっちに転んでも、物語との相性が良くないという性質を持っているのです。
ただ、その汎用性を生かして「予感を感じさせる修辞技法」として活用されることもあるようです。
汎用性が高いので「何の音だ?」というように、意味不明な文を章の最後に残して引きを作れるというわけですね。
その他、例外パターンについて
ページ最下段にある「オノマトペの語源と使い方まとめ」という記事でも、ご紹介していたのですが。
オノマトペなのか、オノマトペではないのかよくわからない「音喩(おんゆ)」と呼ばれるマンガ表現が、存在しています。
例えば、主人公が仲間をモンスターに食べられてしまったといった絶望するシーンで「うわあああああああ」と叫ぶ台詞をみたことがある方も、いらっしゃるのではないでしょうか?
これが音喩表現と呼ばれるものです。オノマトペ側からみると、人物に対する擬声語の一種とも解釈することが出来ます。
これらは「オノマトペを文章中に使ってよいか?」という議論以前に、「これはオノマトペなのか?」というところで例外となっているケースに該当するでしょう。
ライトノベル作品「ノーゲーム・ノーライフ」や「必殺奥義の名前を単語として利用している作品群」には、この音喩かどうか際どい表現が、ところどころ太字大文字体で登場してきます。
つまり、出版社が表現技法として黙認していることになります。
音喩表現の正確な使用法は不明ですが、漫画の演出効果を小説の世界へ転用した高等技法に属するのではないかと思います。
ちなみに、「うわああああ」を文法的に解釈すると『感動詞』と呼ばれるものになるのですが、音喩にはこういった『感動詞』が用いられるケースが多い傾向にあります。
感動詞というのは「おい」、「はい」、「もしもし」といった、独立して意味が通じてしまうもののことを本来は指しています。文から自立していて、活用形もないことが特徴です。
使用可能なケースまとめ!
さて、このように擬音語は以下の5つのケースで上手く使うことはできるようですが、それ以外での利用は慎重に考えたほうが良さそうですね。
(おそらく)使用可能なケース
- 擬音語以外では、どうしても表現する言葉が存在していないケース
- 新たな言語を創り上げてみたいケース
- 文章の雰囲気に緩急を付けたいというケース
- あえて、意味不明な文を残して読者の気を引くケース
- 音喩表現として用いるケース
※ただし、刷り込みによって幼児語指定されているものを除き、多用し可読性を損なわない必要あり。
今日も創作お疲れさまです。それではっ!
▼ 擬音語の作り方や一覧は、こちら!
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