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エッセイ・随筆の意味と書き方のコツとは?|【起承転結の構成はNG!】小学生&中学生のためのエッセー講座!

エッセイ・随筆の意味と書き方のコツとは?


自分の思ったことをそのまま人に伝えることができるエッセイ、その魅力に改めて気づかされると「人から興味を持たれるエッセイと、そうでないエッセイには、一体どんな差があるのだろう?」といったことが気になる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

というわけで、今回は「エッセイ(随筆)」が生まれた経緯や、うまく書くコツについてご紹介していくことにしたいと思います。

 

今回も結論からいっておきますね。※細かい技法などについては、追ってご紹介していくことにしたいと思います。

 

エッセイ(随筆)をうまく書きたいのであれば、起承転結などは一切考えず「過去・未来の自分へ伝えたいことを手紙にするような感覚で書く」か「面白かったことをありのまま、友人に話しかけるように書く」と良いでしょう。

 

エッセイ(随筆)の意味とは何か?


エッセイ(随筆)とは、ノンフィクション(=現実に起こったこと)を題材として、筆者の視点を用いて自身の思想や感想を綴った散文(=書き方に定めがない文章)のことです。

 

ちょっとだけ、わかりにくいですね(笑)

 

まぁ、エッセイ(随筆)かどうかは、以下の4ポイントをチェックすれば大体OKです!

 

エッセイと他の文学作品との違い


  1. ノンフィクション作品であること
  2. 筆者自身が語り手であること
  3. 語られている内容は、思想や感想が主眼であり物語にはないこと
  4. 韻文(俳句や短歌など)では無いこと

 

というのも、辞書に準拠すればフィクションは、すべて「小説(架空の物語を文章で表現したもの)」に該当します。

 

続いて②と③についてですが、作り話(フィクション)か否かだけを基準に小説とエッセイを区別しようとすると、作品が非常にリアルで実際にあったことかどうかも作中で伏せられている場合、読者からはフィクションなのかノンフィクションなのか判断ができない状態になることがあります。

 

そうはいっても、事件ものドラマの大半がエッセイ?というのも大分おかしな話なので、筆者自身が主人公であり、物語ではなく思想や感想に主眼が置かれているという特徴を持つものについては、小説ではなくエッセイと呼んだ方がふさわしいだろうということなのだそうです。

 

また、④は最もシンプルな話で、形式が5・7・5といった決まりきった形式を持つ文章(=韻文)なのであれば、それはエッセイではなく俳句や短歌であるというだけの補足的な話です。

 

理由は後述しますが、実はエッセイ(随筆)には歴史的に定義が曖昧になってしまった経緯があるので、きっぱり「これは小説で、これはエッセイだ!」といった区分はできないといっても過言ではないと思います。

 

ただ、目安として上記の4ポイントさえ満たしていれば、ほとんどエッセイ(随筆)と呼んでしまって間違いにはならないでしょう。

 

エッセイと随筆は『別物』という話


これがエッセイという言葉の意味を曖昧にしている元凶といっても過言ではないのですが、実は「エッセイ」と「随筆」は本来まったくの別物です。

 

もともと、エッセイというのは16世紀ルネサンス期のフランス哲学者ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』に始まったとされており、かんたんに言ってしまえば人間が持つ感情の動きや思考を読み取る哲学的な『試み』(仏:essai)だったとされています。

 

これは時代背景を知っていないとわかりにくいと思いますので、少しだけ歴史の話をしようと思います。

 

モンテーニュが『エセー』を書くことになった時代背景には、キリスト教カトリックとカルヴァン率いるプロテスタントとの宗教戦争(ユグノー戦争)がありました。

 

そして、彼が『エセー』を書いた目的は、まさに宗教戦争の平和的な解決『調停による融和』にあったとされていたのです。したがって、戦争の根本的な原因を理解しておいたほうがいいかもしれませんね。

 

そもそも「なぜ戦争になったか」というと、キリスト教カトリックの教皇から贖宥状を発行(要するに、天国へのチケットを金銭で買う免罪符の仕組みを作ったこと)に対する抗議とされています。

 

加えて、十字軍遠征後の時代であったこともあり、翻訳が進みイスラム圏とヨーロッパ圏の交流が進んでいるルネサンス期でもありました。

 

それにより、戦争解決の糸口としてキリスト教以外のものの見方があったということ(主に古代ギリシア哲学の世界観)に民衆が気づき、宗教により蓋をされていた文化たちが一気に革命を起こしている時代だったと言えるでしょう。

 

さて、それでは本題に戻りますが、このモンテーニュという人物は古代ギリシアの『哲学』にふれたことで「クセジュ?(私は、何を知っているのだろうか?)」という言葉を編み出します。

 

要するに、「神様が言ってたから、こうだ!」とか「聖書に書いてあるから」といった理由で行動するのではなくて、少しは自分の頭で考えようぜという常識は疑うべきものという懐疑主義を主張し、その上で自分たちが如何に人を偏見で見ているかを知ることで、お互いを理解しようと試みる寛容な精神を身につけるべきと説いたわけですね。

 

一言でまとめてしまうと、そういった寛容な精神を身に着けてもらうためにカトリック側にもプロテスタント側にも、『エセー』を通して人々にお互いの主観的な気持ちを伝えあうようにできればいいなと考えてできたのが、エッセイだったというわけです。

 

それに対して、随筆の起源は10世紀末ごろです。

 

清少納言の『枕草子』がその源流とされており、自然についてや宮中の些細な出来事について「これは素敵だな~」とか「これは嫌だな~」といった、風流(いとをかし)な感想をつづっていったものが、本来の『随筆』なのです。

 

そう考えてみると「エッセイ」と「随筆」は目的も、文章へ向き合う人の姿勢もまったく違うものなので、本来であれば別物なのです。

 

ただし、宗教戦争が落ち着いてインターネットにより世界中の文化交流が盛んになった現代においては、エッセイと随筆の区別が付けづらくなってきた結果として、上記で説明しておいたようなニュアンスとなったようです。

 

エッセイ(随筆)を書くコツとは?


さて、エッセイ(随筆)をうまく書きたいのであれば、起承転結などは一切考えず「過去・未来の自分へ伝えたいことを手紙にするような感覚で書く」か「面白かったことをありのまま、友人に話しかけるように書く」と良いでしょう。

 

まず、起承転結についてですが、先述の通りエッセイ(随筆)というのは、あくまでノンフィクションです。つまり、あえて起承転結を無理に作ってしまうとすれば、それはもうフィクション(小説)になってしまいます。

 

もしあなたが書きたいのが「エッセイ」ではなくて「小説」だったとすれば、「小説の書き方&物語の書き方」という記事で以前まとめておきましたので、そちらを参考にしてみると良いでしょう。

 

また、あなたがもしエッセイ(哲学的な思想や主張など)を書きたいのであれば、読者にとって有益な主張となっていなければ、関心は持たれないでしょう。

 

したがって、過去に自分が失敗して痛い目をみた話だったり、将来の自分に忘れないでほしい夢の話だったりをすると、少なくとも過去や将来の自分と似たような状況の読者の心に響かせることはできるでしょう。

 

また、もし随筆が書きたいのであれば面白さが最重要になるでしょう。しかし、それはあくまで事実(ノンフィクション)なので、どちらかといえばエピソード的な面白さを作るのではなく、ユーモアやオリジナリティのある言い回しのほうが重要になることでしょう。

 

したがって、月並みなアドバイスになりますが、コンテストで優秀賞を取ったような作品を読み込んで面白い表現方法を探してみるのも一つの訓練になるのではないかと思われます。

 

参考文献としては『ジョーク・ユーモア・エスプリ大辞典』というものがあります。世界中で作られたジョークやユーモアのある言い回しが収録されている時点ですね。

 

ホームパーティーにもってこいな品であります(笑)

 

これが一冊あれば、ジョークや皮肉、ユーモアな言い回しで困ることはなくなるでしょう。少し値段は張りますが、下手な参考書を買うよりは実用的ですし費用対効果は高い投資になると思われます。

 

 

もしかすると、ユーモラスな言い回しを作るときにオリジナリティといった部分で、つまづくこともあるかもしれないので、そちらは以下の記事で考察をまとめておくことにします。

 

興味があれば、参考にしてみてくださいね!

 

▼ ユーモラスな個性の出し方とは?

想像力と創造力をすぐに高める意外な訓練法とは?|想像力がない人・豊かな人の違いと鍛える秘訣!

 

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