エッセイ&随筆の書き方におけるコツと意味とは?
エッセイとは、「私はこう思います!」といった思想や感想を主題とした文学作品のことです。
また、エッセイ(随筆)をうまく書きたいのであれば、起承転結などは一切考えず「過去・未来の自分へ伝えたいことを手紙にするような感覚で書く」か「面白かったことをありのまま、友人に話しかけるように書く」と良いでしょう。
シンプルに感じられるかもしれませんが、大切なことは時としてシンプルだったりするものです。
また、小学生や中学生だからこう書く必要があるとか、大学生ならこう書きなさいというようなものではありません。エッセイというのはそういった常識にとらわれることのないように生み出された文芸作品です。英語か日本語かという部分においても同様です。
エッセイや随筆のテーマに困っているという方は、以下の記事も参考にしてみてください。
エッセイ(随筆)の意味とは何か?
冒頭で述べておいた通り、エッセイ(随筆)とは「私はこう思います!」といった思想や感想を主題とした文学作品のことです。
以下の4ポイントをチェックすれば大体OKです!
エッセイと他の文学作品との違い
- ノンフィクション作品であること
- 筆者自身が語り手であること
- 語られている内容は、思想や感想が主眼であり物語にはないこと
- 韻文(俳句や短歌など)では無いこと
というのも、辞書に準拠すればフィクションは、すべて「小説(=架空の物語を文章で表現したもの)」に該当します。ほかにも細々とした違いがありますが、詳細は『エッセイと小説の違いとは?』という記事にまかせることにします。
ザックリ言ってしまえば、物語ではなく思想や感想に主眼が置かれているという特徴を持つものについては、小説ではなくエッセイと呼んだ方がふさわしいだろうということです。
理由は後述しますが、実はエッセイ(随筆)には歴史的に定義が曖昧になってしまった経緯があるので、きっぱり「これは小説で、これはエッセイだ!」といった区分はできないといっても過言ではないと思います。
ただ、目安として上記の4ポイントさえ満たしていれば、ほとんどエッセイ(随筆)と呼んでしまって間違いにはならないでしょう。
エッセイと随筆は『別物』という話
これがエッセイという言葉の意味を曖昧にしている元凶といっても過言ではないのですが、実は「エッセイ」と「随筆」は本来まったくの別物です。
もともと、エッセイというのは16世紀ルネサンス期のフランス哲学者ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』に始まったとされており、かんたんに言ってしまえば人間が持つ感情の動きや思考を読み取る哲学的な『試み』(仏:essai)だったとされています。
これは時代背景を知っていないとわかりにくいと思いますので、少しだけ歴史の話をしようと思います。
モンテーニュが『エセー』を書くことになった時代背景には、キリスト教カトリックとカルヴァン率いるプロテスタントとの宗教戦争(ユグノー戦争)がありました。彼が『エセー』を書いた目的は、まさに宗教戦争の平和的な解決『調停による融和』にあったとされていたのです。したがって、戦争の根本的な原因を理解しておいたほうがいいかもしれませんね。
そもそも「なぜ戦争になったか」というと、キリスト教カトリックの教皇から贖宥状を発行(要するに、天国へのチケットを金銭で買う免罪符の仕組みを作ったこと)に対する抗議とされています。加えて、十字軍遠征後の時代であったこともあり、翻訳が進みイスラム圏とヨーロッパ圏の交流が進んでいるルネサンス期でもありました。
それにより、戦争解決の糸口としてキリスト教以外のものの見方があったということ(主に古代ギリシア哲学の世界観)に民衆が気づき、宗教により蓋をされていた文化たちが一気に革命を起こしている時代だったと言えるでしょう。
さて、それでは本題に戻りますが、このモンテーニュという人物は古代ギリシアの『哲学』にふれたことで「クセジュ?(私は、何を知っているのだろうか?)」という言葉を編み出します。
要するに、「神様が言ってたから、こうだ!」とか「聖書に書いてあるから」といった理由で主観的な正義のもとに行動するな。少しは自分の頭で考えようぜという常識は疑うべきものという懐疑主義を主張し、その上で自分たちが如何に人を偏見で見ているかを知ることで、お互いを理解しようと試みる寛容な精神を身につけるべきと説いたわけですね。
★COLUMN:エセーの役割とは?
エセーの役割を端的にまとめれば、対立する人々がお互いの価値観に目を向け合う機会を創出し、歩み寄れるだけの寛容な精神を養うことで争いをなくすことにあったというわけです。
それに対して、随筆の起源は10世紀末ごろです。
清少納言の『枕草子』がその源流とされており、自然についてや宮中の些細な出来事について「これは素敵だな~」とか「これは嫌だな~」といった、風流(いとをかし)な感想をつづっていったものが、本来の『随筆』なのです。
そう考えてみると「エッセイ」と「随筆」は目的も、文章へ向き合う人の姿勢もまったく違うものなので、本来であれば別物なのです。
ただし、宗教戦争が落ち着いてインターネットにより世界中の文化交流が盛んになった現代においては、エッセイと随筆の区別が付けづらくなってきた結果として、上記で説明しておいたようなニュアンスとなったようです。
エッセイ(随筆)を書くコツとは?
さて、エッセイ(随筆)をうまく書きたいのであれば、起承転結などは一切考えず「過去・未来の自分へ伝えたいことを手紙にするような感覚で書く」か「面白かったことをありのまま、友人に話しかけるように書く」と良いでしょう。
まず、起承転結についてですが、先述の通りエッセイ(随筆)というのは、あくまでノンフィクションです。つまり、あえて起承転結を無理に作ってしまうとすれば、それはもうフィクション(小説)になってしまいます。
もしあなたが書きたいのが「エッセイ」ではなくて「小説」だったとすれば、「小説の書き方&物語の書き方」という記事で以前まとめておきましたので、そちらを参考にしてみると良いでしょう。
また、あなたがもしエッセイ(哲学的な思想や主張など)を書きたいのであれば、読者にとって有益な主張となっていなければ、関心は持たれないでしょう。
したがって、過去に自分が失敗して痛い目をみた話だったり、将来の自分に忘れないでほしい夢の話だったりをすると、少なくとも過去や将来の自分と似たような状況の読者の心に響かせることはできるでしょう。
また、もし随筆が書きたいのであれば『面白さ』が最重要になるでしょう。しかし、それはあくまで事実(ノンフィクション)なので、どちらかといえばエピソード的な面白さを作るのではなく、ユーモアやオリジナリティのある言い回しのほうが重要になることでしょう。
したがって、月並みなアドバイスになりますが、コンテストで優秀賞を取ったような作品を読み込んで面白い表現方法を探してみるのも一つの訓練になるのではないかと思われます。
参考文献としては『ジョーク・ユーモア・エスプリ大辞典』というものがあります。世界中で作られたジョークやユーモアのある言い回しが収録されている時点ですね。
ホームパーティーにもってこいな品であります(笑)
これが一冊あれば、ジョークや皮肉、ユーモアな言い回しで困ることはなくなるでしょう。少し値段は張りますが、下手な参考書を買うよりは実用的ですし費用対効果は高い投資になると思われます。
もしかすると、ユーモラスな言い回しを作るときにオリジナリティといった部分で、つまづくこともあるかもしれないので、そちらは以下の記事で考察をまとめておくことにします。
興味があれば、参考にしてみてくださいね!
▼ ユーモラスな個性の出し方とは?
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