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トートロジーとは?例文からみるトートロジーの意味と使い方!|レトリック講座vol.5

トートロジーとは?例文からみるトートロジーの意味と使い方!|レトリック講座vol.5

 

トートロジーとは?

 

トートロジーとは「私は、私である」や「リンゴは、リンゴである」といった、ある事柄を同じ意味の言葉(同義語や類義語)で説明する文の書き方のことをいいます。

 

論理的には、何の意味も持たない文のことだと覚えればわかりやすいでしょう。以下、具体例をあげておきますね。

 

< 例文 >

Aさん「あなたが幸せになるためには、何をすれば良いですか?」

Bさん「幸せになれば良いです!」

 

Bさんは、Aさんの質問に答えているようで全く意味を持たない無益な質疑をしていることが分かると思います。

 

なぜなら、Bさんの回答は『わかりきっていること』であり、特質して言うまでもないことだからです。これがトートロジーと呼ばれるものです。

 

一般的にトートロジーは、「Aは、Aです」と言う文体だけではなく、様々な形で存在しています。

 

例えば「わたしは、男か女です」という文。「男の人は、女の人ではない」といった文もトートロジーと言えます。

 

それでは、トートロジーは小説や文章を書く際や論理学的に全く価値を持たないものなのでしょうか?

 

実は、そういうわけではありません。というわけで、「論理学におけるトートロジー」と「文学におけるトートロジー」の説明をしていきたいと思います。興味のある方を読んでみてください。

 

論理学におけるトートロジー

 

数学においてトートロジーが注目されているのには理由があります。検索エンジンやAIを最適化する役割を持つからです。

 

例えば、皆さんがよく使うグーグルの検索で「キャラクター」と「キャラ」という二つの単語を検索したとしましょう。人間からすると同じ意味をもつ単語ですが、機械からすると別の単語です。

 

そこで、機械に「キャラクター=キャラ」と覚えさせておけば解決するのですが、次の例ではどうでしょうか?

 

「果物」と「果実」です。一見同じように思えますが、実は「果物」は食べられる「果実」のことなので、時と場合によって「イコール(=)」にもなりますし「ノットイコール(≠)」にもなります。

 

他にも、「くも」という言葉は同音異義語として「雲」と「蜘蛛」どちらの意味を持つのか字面だけでは判別が出来ません。「くも≠くも」であることもあり得るのです。

 

このような例は、いくらでも考えることが出来るためすべてをイコールとして機械に覚えさせるのには問題があります。

 

したがって、トートロジーを解析することで、AIにどのくらい同じ意味の単語なのかを教育していくことができます。そこに意義が生まれるのです。

 

小説におけるトートロジーの使い方と例

 

さて、論理的には何の意味も持たないトートロジーですが、文学的には価値のある修辞法(文章における表現技法)の一種とされています。

 

というわけで、トートロジーが文学的に意味を成している場合と例をみていくことにしましょう。

 

1.忘れていたことに気付かせたい時

 

例:「お父さんは、おまえのお父さんなんだ。たまには、頼りなさい」

 

どの場面で、この台詞が登場するかによって意味合いは変わりますが上のような例文は文学的に意味を持ちます。

 

というのも、例文では「お父さん=お父さん」ということが言いたいわけではなく「お父さん=お父さんという頼れる存在であること」ということ暗に意味しています。

 

また、「お父さん=お父さんという頼れる存在であること」という図式は、必ずしも正しいとはいえませんが一般的には理解されやすい内容だと思います。

 

しかし、普段から「この人は、わたしのお父さんだから頼れる人なんだ!」と思っている人は、あまり居ないですよね。

 

周知の事実と心のどこかでは思いながらも、普段は当たり前のことだと思っているわけではないのです。

 

だからこそ、人をハッとさせる修辞法として機能できるというわけですね。

 

物語において、当たり前のことを主人公が再認識するといった感動場面は少なくありません。同じ物事を読者に違う角度から見せるたい場合は、このようにトートロジーを活用することができるでしょう。

 

2.他との違いを明確にしたい時

 

例:「わたしの人生は、わたしの人生なんだ」

 

例えば、人に自分の人生を左右されているキャラクターが小説に登場してきたとして、例文のような言葉を用いたとしましょう。このトートロジー的な文にも、文学的には意味があります。

 

つまり、「いつの間にか『わたしの人生=人から左右される人生』となってしまっていたけれど、そんなのは間違いで『わたしの人生≠人から左右される人生』だったんだと気付いたこと自体を表現する文」となるからです。

 

他にも「私は私、君は君」といった文も、このパターンに当てはまるでしょう。このように、「他のものとは違うんだ」というところを強調する際にもトートロジーは利用されます。

 

3.再確認して感慨に耽る台詞を作りたい時

 

例1:「やっぱり、桂木くんは桂木くんだな~」

例2:「社員は、所詮社員なのさ」

 

次に、自分の考えていたことを再認識する時にもトートロジーを活用することがあります。

 

例1の台詞では「桂木くんの実際の行動」が「自分の信じていた桂木くんの行動」と一致していたことについて、再確認をした主人公を描写することができます。

 

また、例2のように悲観した表現でも利用されることがあります。再確認の仕方にも「皮肉」や「感慨」など、いろんなケースがあるようですね。

 

4.言い切りを強調したい時

 

例1:「決まりは、決まりだ!」

例2:「好きなものは、好きなんだ!」

 

こちらは同語反復(トートロジーの一種)と呼ばれる修辞法の典型例です。無意識に使う可能性が高いので、そこまで意識しておく必要は無いと思いますが、念のため挙げて置きます。

 

例のように同じ言葉を何度も繰り返すことによって、発言の語意を強めることができるのです。

 

トートロジーによる副作用

 

上記にあげたトートロジーには、文学的に意味がありました。

 

しかし、トートロジーの多くは文の過剰装飾や、冗長化(文を無意味に長くすること)を引き起こします。

 

例えば、次のような例が過剰装飾としてあげられるでしょう。

 

例:「新しい技術革新」「暴力的な戦争」「神は偉大だ」

 

技術革新は新しいに決まっていますし、戦争が暴力的でないわけがありませんよね。

 

例文に違和感を持った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

また、読者が偉大なものを神と定義していた場合は、それすらもトートロジーとなり得ます(違和感は比較的少ない例)

 

また、記事をまとめていて気づいたのですが、トートロジーは台詞に用いられるケースが多いようです。台詞を作るのが苦手だという方は、トートロジーをフルに活用すると良いのかもしれません。

 

一方、地の文にトートロジーを用いる場合は過剰装飾に注意が必要です。強調する意図がない部分にまでトートロジーを連発すると、本当に強調したい部分とのメリハリが付かなくなります。

 

まとめ

 

まとめです。

 

繰り返しになりますが、トートロジーとは「ある事柄を同じ言葉や類義語によって説明する修辞法」のことです。

 

小説において、トートロジーを活かすのであれば「意図を持った台詞を描きたい場合」か「地の文を強調したい場合」のどちらかでしょう。

 

というわけで、今日はこの辺にしておきたいと思います。ご精読ありがとうございました!

 

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