小説・物語冒頭の書き出しが難しくて書けない方へ!
小説やラノベ冒頭の書き出し方って、とても悩ましいポイントの一つですよね。というか、だいたい小説を書いていて悩んでいるのって書き始める時と、書き終える時なんじゃないかと思ったりもしますね(笑)。
一方、いろんな教本やサイトを巡ってみると、小説の「タイトル」・「あらすじ」・「書き出し」の三拍子は、小説を買ってくれたり、読んでもらえるかどうかを左右する超重要事項だと書かれています。
ただ、「要は、どう書けと?」という所に対する解決策の提示については抜け落ちているようでしたので、今回はその解決策について迫っていくことにしようと思います。
『書き出し』でもう迷わなくて済むようにするためには、まず私たちが「なぜ、書き出しで迷うのか?」というところからみていく必要がありそうです。
小説の冒頭書き出しで作家は何を迷うのか?
さて、そもそも論ではありますが「小説の書き出しで悩む」というと、あたかも小説を書き出すことができていない状況。すなわち、筆が全く動いていない状況を想像する方が多いかもしれません。
しかし、実態はそういうわけでもないようです。私自身、「小説の書き出しで、悩んだことないんだけど」と思っていたのですが、どうやら勘違いをしていたようです。
というのも、作家さん数名に「書き出しで悩んだ経験のあるポイント」をお聞きしてみたのですが、そのどれも筆自体は多少なりとも動いていたんですよね。
みなさんが何に悩んでいたのかというと、「冒頭を書いてみたけどインパクト的に納得がいかない or これでいいのかわからない」とか、「さっき読んでた小説に、めっちゃ似ててオリジナルじゃねぇ」とか、「続きが思い浮かばない」といったところで悩んでいるようでした。
要は、小説を『書き出すこと』が難しいのではなく、小説を書き出したあとに振り返って『出来を確認した上で改善すること or 先の展開につなげること』が難しいと言っていたわけです。
そもそも全く書けないのであれば題材を変えるべきでしょう。どれだけ面白い題材でも、心地よく書けなければあとになって心のどこかで「このネタ、面白くないかも」と考えていたことが発覚するパターンはよくあるものです。
もし、題材を考え直したい場合は『小説のテーマを一瞬で見つけ出す方法』を参考にしてみてください。きっと、今考えているものより、数倍面白いネタが浮かんでくるとおもいます。
それでは話を元に戻しますが、「書き出し」で悩んでしまう原因には、以下の2つのケースが想定されます。
小説の冒頭書き出しで悩む原因
- 冒頭の出来に問題ないか?つかみはあるか?→良い作品の出来とは何か?
- 先の展開へどう繋げるか?→プロットをどこまで詳細に決めるか?
書き出してみた私が言うのもなんですが、2つとも難題もいいところですね(笑)。以下、便宜上1番目の問題を「設問.1」、2番目の問題を「設問.2」と呼ぶこととします。
正直いえば、これらの問題に正解があるとは思えません。良い作品や読まれる作品というのが何か最初からわかっているとしたら、苦労はしませんし。プロットも人によって、やり方は様々です。
そういう理由もあって、指南書や教本では取り扱うことができなかったのではないかと推察します。
人によって違うのであれば、スクールか何かに通ったりして個別対応してもらわないと無理ゲーもいいところではないかと思うからです。
とはいえ、ここで議論を投げ出すつもりもありません。それでは、この記事を書いている意味が無くなってしまいますからね。
さて、それでは「設問.1:良い作品・読まれる作品とは何か?」からみていくことにしましょうか。
設問.1:良い作品・読まれる作品とは何か?
まず、設問.1は昔から「文芸評論・文芸批評」の世界で、長い歴史をかけて議題にされてきました。
そのため、この問題を解く一つのヒントとなりそうなものとして「文芸批評の歴史」が挙げられるでしょう。
文芸批評は、「印象批評」と呼ばれるもの辺りから始まっていき、現代における「構造主義」と呼ばれる思想へと繋がっていくのですが、
ここら辺の歴史をまともに全部話していくと、超大作となってしまうので、結論だけ先に述べて、また別の記事で詳細は語っていくことにしようと思います。
結論から言えば、現代における文芸批評では物語の面白さを客観的かつ論理的に説明できることを評価していくのが主流なようです。
要するに、「こういう理由で良かった」と明確に言える作品が、よく評価されている傾向にあるということです。
理由はシンプルで、主観による批評というのは非常に難しいもので人によって意見が違うのであれば、編集者の好みなのかわからなくなってしまうからです。
歴史的にみても、この主観評価が言論弾圧へつながってしまったことが多々あるのです。権力者の好き嫌いだけで芸術が評価され、そもそも批評として成り立たなくなってしまったというわけですね。
そこで、どんなに頭が悪い人でも思想が偏っている人でも、ある程度の水準までは平等に批評ができるようにするため、客観的に見ることができる物語の構造に着目していこうぜという流れになってきたわけです。
その中でも代表的な評価項目には「シーン前後の関係性が明瞭か」といったものなどがあります。
そうなると、必然的に「書き出し」はどういう状態なら良いのかといえば、これもまた同様で冒頭にも意味がちゃんと割り当てられていれば良い構造だということになります。※もちろん、いまだに賛否両論あります。
たとえば、伏線やフラグ、事件のような物語の発生装置のような仕掛けがしっかりと作動していたり、読者を物語へ誘引するような仕掛けのある冒頭書き出しですね。
まぁ、こう言われると、そりゃそうだという感じですが(笑)
では、「物語世界へ誘引するような冒頭の書き出し」とは、いかなるものなのでしょうか?
この時点で、絶対解はないことがわかります。どんだけひねくれた書き方だったとしても、結果的に読者を誘引できていたり、仕掛けが施されていればなんでも良いわけです。
そこで、人々は人気作品の冒頭に共通している構造によって、その書き方を見いだそうとしていきました。
その結果、出てきたのが「最初からクライマックス(張り手パターン)」と「それ昨日の俺じゃん(日常からの始まりパターン)」の2つなのだそうです。
もう少し分かりやすく言えば、ミステリーの冒頭がだいたい血まみれの事件現場から始まったり、かたやボーイミーツガールな作品であれば、主人公が超美人なヒロインと遭遇して事件に巻き込まれていくように、
最初から、クライマックス(インパクトのある場面)をかましてくる作品が「張り手型」と呼ばれるものだそうです。
一方、通勤電車や会社のオフィス、休日のショッピングなど、日常的にだれもが接している場面を描くことで、読者に現実世界と仮想世界の境界線を曖昧にさせ、没入感をある程度得たあと、物語を展開していくのが「日常型」と呼ばれるものです。※ただし、これはあくまで王道なので例外もたくさん存在しています。
このように、意図された構造がしっかり存在していると最大公約数的に良い文章と言われる傾向にあります。
「今作は、冒頭にこんなギミックを仕込んでいる」とか、「没入感を最大限高めるための工夫をしている」と胸を張って言えるのであれば、まずは書き進めてみましょう。
物語の構成ではなく、具体的な文章術の方を知りたいという方は、以下の記事にある「奇先法」などの修辞技法が参考になると思います。
▼ 誰も教えてくれなかった文章術まとめ!
これにて、設問.1への解答は終了したいと思います。
続いては、設問.2「プロットはどこまで詳細に決定するべきか?」に移っていくことにしましょう!
設問.2:プロットはどこまで詳細に決定するべきか?
話が少し長くなってきましたので、冒頭に述べておいたことをおさらいしておきますと、
設問.2は、「勢いで書き出してみたのは良いけど、第2話あたりから、先の展開がわからなくて筆が動かねぇよ問題」に端を発しています。
この場合、先の展開を決めておくしかありません。しかし、下手に決めてしまうと執筆時に面白味がなくなってしまうのも事実でしょう。
そのため、どこまで事前にプロットを固めておくかが問題になってきます。
結論から言えば、最も近いスモールゴール(=人物の些細な行動目標)とミドルゴール(=スモールゴールの共通目標)だけを事前にセットしてあげておけば、書き出すのに悩みにくくなると思います。
スモールというのが肝です。たとえば、勇者が魔王討伐にいくお話をつくるとしましょう。
多くの場合、勇者が魔王を倒すために、まずは最初の町でパーティーメンバーや防具を集め、スライム的ポジションの雑魚キャラを倒し、最初の町を出ていきます。
その後、あれこれあって魔王城に乗り込み、最終決戦となることが多いわけですが。ここでいう最初のスモールゴールは、一人目のパーティーメンバーを見つけることではないと思ってください。
それこそ主人公がパーティーメンバーを探しにいくために「宿屋を出る」といった、もっととても些細な行動目標をスモールゴールと呼ぶことにします。
逆に、一人目のパーティーメンバーを見つけることを、ミドルゴールと呼んでいくことにします。
主人公には、宿屋を出た後も集会場へ馬車で向かったり、集会場の受け付け待ち時間が終わるまでただ待つといった些細なスモールゴールがいくつも待ち受けることになります。
小説を書いているとしょっちゅう起こることなのですが、作者というのはなぜか冒頭以外の場面では、1部のシーン(スモールゴールまでの1カット)をすらすら書いているのにも関わらず、冒頭では物語全体(ミドルゴールまでの運び)に目が行きがちなのです。
よくあるのが、張り手型を目指そうとして一発ネタのコメディみたいな書き出し方をして、続きが書けないパターンですね。コメディと張り手型は、実のところ相性はあまりよくないのかもしれません。
そういったときは、場面だけストックしておいて、書き出しに書くのではなく別の場面に使うようにするといいと思います。
別に、引きを作るために物語を書いているのではないでしょうから。手段と目的が逆転してしまいます。
たしかに、小説において冒頭の引きはとても重要ですが、書き出し部分を読み始めるのは購入後であったり、読者がすでに読む態勢に入ったあとであることの方が多いでしょう。口コミで買う場合もあります。
その点で言えば、引きを強力に狙うのは「あらすじ」や「タイトル」の役割配分のほうが多めなわけで、そちらで補完してもまったく問題ないと思うのです。
また、ここまでは読み手視点で書き出しの役割をみてきましたが、書き手視点からみた役割として『冒頭の文章』というのは、その後の作風全体や文体を決定していく上で重要な部分でもあります。
それ故、冒頭の文体は少し凝った自分好みの色を出していった方が、後々のことを考えると良い気もしますね。
これは余談ですが、台詞文を一文目にすると読者が話に入ってきやすいとも言われているようです。そういう意味では、台詞文から始めてみるのも一つの手かもしれませんね。
まとめ
まとめです。
冒頭で悩んだときは、「出来がこれで大丈夫かな?」という悩みであれば、構造に説明が付けばOK。「続きが書けない」という悩みであれば、「直近のスモールゴールとミドルゴール」だけでも決めておくと良いでしょう!全体像をみすぎないことが重要です。
また、小説冒頭でキャラクターの説明ラッシュや、難易度の高い戦闘シーンを書く人が多いように思えます。
人数が多い三人称視点の作品などでやる場合は、大きな減点を食らう可能性が高いのでページ下にある記事に注意点をまとめておきましたので、気になる方は御覧ください!ご精読ありがとうございました!
▼ 冒頭で注意すべきキャラクターの紹介方法とは?
▼ 冒頭で戦闘シーンを書きたいときの注意点とは?
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