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三人称・一人称視点の違いと書き方まとめ!|小説・ラノベの視点切替や目線の移動方法、タブーとは?

三人称・一人称視点の違いと書き方まとめ!


 

「視点とか人称とか言われても、ようわからんのやけど?(´・ω・`)」

「ほうほう、一人称視点とか三人称視点があるんや……。うむ。よくわからん。寝よ( ˘ω˘)スヤァ」

 

となったことがある方も、意外と多いのではないでしょうか?(笑)

 

そういうわけで、今回は小説に必要と言われている「視点」と「人称」の最も重要なポイントだけを抽出してお伝えしようと思います。

 

結論からいうと、

 

一人称視点の特徴は、主人公が意識不明の場面や主人公から遠く離れた出来事がかけないこと、語彙力をキャラにあわせる必要があることです。

 

ただ、章ごとに視点を切り替えるのは問題ないので厳密に言えば、遠く離れた場面でも視点切替によって書くことはできます。一般的に、感情移入しやすいので、書き手が書きやすいのは一人称視点です。

 

一方、三人称視点の特徴は、地中から宇宙まで広い範囲を描けることです。

 

ただ、いま一体誰がしゃべっているのかが、わからなくなりがちな反面もあります。これによって読者を混乱させてしまうことがあり、巷では視点のタブー『視点のブレ・視点の混在』などと呼ばれています。

 

三人称主語で視点をブレさせないためには、主人公の知り得ない情報を文に書いてOKとするか、NGとするかを作品を通して、一貫させると解決するでしょう。

 

一人称視点の作品においては、ほとんど意識する必要はありません。

 

また、視点変更は原則おすすめしませんが、どうしても使いたい場合は、視点の位置と文の関係性を列挙しておきましたので、読み進めてみると良いでしょう。

 

 

それでは、「視点」と「人称」のおさらいから、始めていきますね♪





 

小説における「視点」とは?


視点とは、作中に登場してくる「風景」や「人物の動き」といった目に見えるものだけではなく、「登場人物の心の動き」といった目に見えないものまでを、読者が観測する形式(スタイル)のことです。

 

はい!何言ってるのか、わかりませんよね!(笑)

 

これにも、ちゃんと理由があるんですよ。

 

なぜ、「視点」の意味が理解しづらくなるのかというと「視点」という言葉が、二つの意味を内包してしまっているからなんです。

 

それは「誰から見るのか(=映画で言えば、カメラの置かれている位置)」という意味の視点と、

 

「どのように見るのか(=映画で言えば、カメラの角度や選択している撮影効果)」という意味の視点が、セットで説明されてしまっているのです。

 

そのため、ここからは曖昧さ回避するために「視点」という言葉を「立脚点(=誰から見るのか)」と「着眼点(=どのように見るのか)」に使い分けて説明することにしたいと思います。

 

【立脚点】誰から物語世界を見るのか?


作中の風景や人々の暮らしを「誰から見るのか」という意味の視点(立脚点)は、ジュネット理論によって以下の3つに分類されています。

 

・立脚点の種類
  • 全知全能の神視点(=作品世界の外から見る)
  • 物語世界を俯瞰的に見る視点(=作品世界の中だけど人物の外から見る)
  • 登場人物の視点(=人物に入り込んで内側から見る)

 

正確な呼び方をすると、上から「焦点化ゼロ」、「外的焦点化」、「内的焦点化」となります。※別に、覚えなくて良いです。

 

1.全知全能の神視点

一般的に「神視点」といわれているのは、物語を作品の外側から見て書かれているスタイルのことです。具体例としては、「桃太郎」がわかりやすいでしょう。

 

例文:むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
引用元:青空文庫「桃太郎」

 

上の例では、語り部(=「むかしむかし~」と話している人物)が、「桃太郎」という物語自体を作品の外側から語っていることが、わかるかと思います。

 

ここで気づく方もいらっしゃるかもしれませんが、「語り部(=読み聞かせる人)」と「作者」は必ずしも一致しません。

 

実は、この事によって神視点は「①語り部≠作者」と「②語り部=作者」の2パターンに分割できます。

 

①の代表例には、「桃太郎」のような口承・口伝と呼ばれる古来から語り継ぐ童話形式があります。

 

②の代表例には、あたかも作者自身が体験したとされる出来事(フィクションかも)を読者に語りかけるエッセイ風小説とよばれる形式があります。

 

西尾維新先生の「少女不十分」という作品が、良い例でしょう。

 

ちなみに、小説と随筆(エッセイ)の違いは以下の通りです。

・小説と随筆(エッセイ)の違い
  • 小説:作中の人物・事件などを通して、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品
  • 随筆(エッセイ):自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章

 

雑に言えば、フィクション要素が全く入らない語り部が作者の作品をエッセイ、逆にフィクション要素が少しでも入った作品は、すべて小説と呼んでいるわけです。

 

これに対して、「エッセイ風小説」というのは、語り部が作者の作品のうち、フィクションかノンフィクションかを、あえて明かされていないもののことを、ここでは指すことにしています。

 

神視点は一般的ではないと言われることもありますが、別に作品がないわけではありません。

 

むしろ、エッセイ風小説には現実とフィクションの境界を曖昧にする効果があるため、名作には多い特徴すらあります。※これを演劇の世界では、「第四の壁を突き破る」といったりもします。

 

ちなみに、ここで解説しているジュネット理論における視点は、巷で囁かれている三人称神視点というものとは、全く関係ありません。一度、忘れてください。

 

○人称△視点といった名前のついた区分は、立脚点と着眼点の話をごちゃ混ぜにしてから分類されているものだからです。理解し難いのも当然です。

 

その証拠に、巷でいう三人称神視点では内心の表現が不可能であるというのが通説ですが、桃太郎を読んでみるとわかるように「桃太郎は、ひどく悲しみました」のような内心表現は可能です。

 

さらに、エッセイ風小説をみても「作者=語り部=主人公」のパターンが王道ですから、主語が「一人称」であることの方が多いのです。三人称という言葉が、語弊を招いてしまいます。

 

あくまで、語り部が作品世界の外にいるというのが、この記事でいう神視点の定義です。

 

2.物語世界を俯瞰的に見る視点

こちらは「ナレーター視点」や「無生物視点」と呼ばれることもあるのですが、例は以下の通りです。

 

例文:老朽化した車体は、舞い上がる砂埃をかきわけてゆく。一帯に散らばる鉄くずたちを横目に、軋む音はリズム良く。どこまでも響き渡っていた。

 

このように、語り手が作品の外ではなく、作品世界の内側にいるような書き方を「物語世界を俯瞰的に見る視点」と呼びます。

 

書き方としては、例のように作者や登場人物ではなく作中の「無生物」や「物の状態」を主語とすると、書きやすくなります。

 

どうしても主語に人物を持ってきたい場合は、「女は~」や「この哲学者は~」といったように、比喩の一種である換称(アントノメイジア)を用いて、カメラと人物の間に距離があることがわかるように描くと自然になります。

 

もちろん、登場人物の名前が主語として、そのまま入る場合もあります。

 

3.登場人物の視点

「登場人物の視点で描く」というと、発言に主観やバイアスが入ってくるように思えますが、それは「着眼点」の問題であって、このセクションで話している「立脚点」の定義は限りなくシンプルです。

 

つまり、カメラの位置(立脚点)が、登場人物の目の位置と同じか、近しい位置に置かれている状況を、単純に「登場人物の視点」と総称しています。

 

わかりやすくするために、具体例をあげておきます。

例文:僕は、銀箔のように鮮やかな、光沢を放つ鯖の切り身を箸先でつまみあげていた。重力に従って垂らされた薄い身がヒラヒラと空を舞う。

 

例文のように、カメラワークが登場人物の目線と同期していると、作品への感情移入がしやすくなるという特徴があります。あたかも、スナイパーライフルのスコープを覗きこむようにして、世界を見ているような視点です。

 

これを漫画の世界では「同一化技法」と呼んでいて、小説においては「同一化技法」と似たような仕組みを使った修辞技法(漸層法など)も存在しています。

 

また、漫画においては、カメラワークを完全に登場人物の目線と同期してしまうと、登場人物が描写できなくなってしまうので、

 

いわゆる「肩越し視点」と呼ばれる「人物も映るように、背後霊のような位置でカメラが人物を追うスタイル」が、一般的に知られています。

 

こうして立脚点でのみ「視点」を捉えるだけであれば、話はとてもシンプルなのです。

 

カメラを作品の外に置くか、作品の中だけど人物を俯瞰するように置くか、人物の目線を追いかけるように置くかというだけです。

 

しかし、先程ご紹介した「同一化技法(肩越し視点)」によって、「2.物語世界を俯瞰的に見る視点」と「3.登場人物の視点」の線引が、次第に曖昧になっていきます。

 

そこで、登場してくるのが「着眼点」です。

 

【着眼点】どのように物語世界を見るのか?


先述の通り、立脚点だけでは「2.物語世界を俯瞰的に見る視点」と「3.登場人物の視点」の境界線が、ぼやけてしまいます。

 

この問題は、あらかじめ作品を「主観的な視点で描く」か「客観的な視点で描く」か、先に決めておけば解決します。

 

※ちなみに、主観と客観の差は、登場人物の持つ偏見や癖、本人しか知り得ない情報を読者が知覚できるかどうかです。

 

つまり、「立脚点」と「着眼点」を組み合わせると、小説における視点には以下のようなパターンが混在していることがわかるのです。

 

・小説における視点の分類
  1. 作品の外から、主観的に見る(例:エッセイ風小説)
  2. 作品の外から、客観的に見る(例:童話・おとぎ話)
  3. 作品の中だけど登場人物の外から、主観的に見る(例:肩越し視点)
  4. 作品の中だけど登場人物の外から、客観的に見る(例:ナレーター視点)
  5. 登場人物に入り込んで、内側から主観的に見る(例:一般的な一人称小説)

※登場人物に入り込んで、内側から客観的に見る(=通常、ありえない視点)

※便宜上、これらを以下で「視点1」~「視点5」と言及する場合があります。

 

ここまでくれば、「視点」の種類と意味については、大体おわかり頂けたのではないかとおもいます。

 

続いては、そもそも何故「視点」を決めておく必要があるか、「視点のぶれ」の正体とは一体何なのかについて解説していこうと思います。





 

なぜ、視点を決めておく必要があるのか?


端的に言えば、「①文章が読み難くなること」と「②視点がぶれて感情移入できなくなること」があるからです。

 

2つ挙げましたが、本質的には同じものです。読み難くなるから感情移入できなくなるし、感情移入ができないから読み難くなるのです。

 

以下のような極端な例をみると、すごく読みにくいのではないかと思います。これが「視点のぶれ」と呼ばれているものの一例です。※僕=健二くんだと思って、読み進めてください。

 

例文:僕は帰りの電車に乗り込むと、スマートフォンの画面を明るくした。隣りにいる健二くんは、入社から3年目の後輩になる。とても優秀な部下だが、隙きさえあればスマホばかりいじる癖はなんとかならないだろうか。

 

※上の例で作者は、「僕=健二くん」として描こうとしていました。たぶん、読者からすれば、わけがわからないと思います。

 

つまり、「僕は帰りの電車に乗り込むと、スマートフォンの画面を明るくした」の部分は、健二くんの視点であり。続く2つの文は、健二くんを外から見ている先輩の視点となってしまっています。

 

しかし、読者からすれば、健二くんの隣に健二くんが居るという超常現象が起こっているように見えてしまうわけです。

 

このように、視点を少しぶらすだけでも感情移入どころか、文自体の意味がわからなくなることすらあるのです。

 

そういった理由で、公募においては大幅な減点対象とされています。しかし、こういう解説をすると一つ語弊を招いてしまうポイントがあります。

 

それは「視点のぶれ」と「視点の切替」は、別物だということです。

 

「視点のぶれ」と「視点切替」の違い


小説は、一般的に章や節によって区切られているのですが、この区切りの中で視点を変更しようとすることを「視点のぶれ」と呼びます。

 

逆に、区切りの中では視点を変更せずに、場面が切り替わったのと同じタイミングで、視点も一緒に変更することを「視点切替」と呼びます。

 

※「視点切替」の多用や説明省略は、読者の混乱を招きますが。カットバックといった表現技法として、用いられることもよくあります。

 

どちらかというと、問題が発生しやすいのは「視点のぶれ」の方なのです。

 

「視点のぶれ」を起こさない秘訣とは?


結論から言えば、「視点のぶれ」にもある程度のパターンがあります。それを意識するだけで、ほとんど解決できるでしょう。

 

また、誰かに読んでもらって視点のぶれを探してもらうのも、一つの手段だと思います。下手に規則性を見出そうとすると、容易に頓挫するでしょう。

 

そもそも「視点」という概念は、本来文章の書き方とは全く無関係に存在している概念です。

 

カメラの位置がどうのこうのと言われても、実際に「地の文」を書こうと手を動かしてみると、「地の文の書き方」と「カメラの位置」の間に、決まった関係性が見いだせないことがわかります。

 

実は、「カメラの位置」と「文章表現」の間にある関係が、複雑奇怪すぎて人知を超越してしまっていることに起因しているのですが、それは後ほど解説します。

 

「視点のぶれ」のよくあるパターン


パターンといえば大量のパターンがあるのかと思いますが、ほとんど1パターンしかないことがわかっています。

 

これは「人称」という要素が、「視点のぶれ」が起こりやすいパターンを事前に排除してくれているからなのですが。人称についてのおさらいから、みていくことにしましょう。

 

小説における「人称」と「視点」の関係


「視点」と「人称」は、一緒くたに語られることが多いですが。これらは全く別物です。「視点」がカメラの位置であれば、「人称」はカメラの機種のようなものです。

 

人称には「一人称」「二人称」「三人称」があります。それぞれ動作の主体が「自分」であれば一人称。「あなた」といった相手側なら二人称。第三者なら三人称と言われています。

 

具体例の方がわかりやすいので、以下に例文を挙げておきます。

一人称の文(例):わたしは、ご飯を食べていた。
二人称の文(例):キミは、ご飯を食べていた。
三人称の文(例):彼女は、ご飯を食べていた。

 

一人称の文が続く場合は、視点が「わたし」という主観的視点に固定されるので「小説における視点の分類」でいえば、「視点1、3、5(=主観的な視点)」の内のいずれかに分類されることになるでしょう。

 

一方、三人称が主語となる文が続く場合は「視点2、3、4(=客観的な視点 or 肩越し視点)」に分類されます。

 

ここで押さえておきたいのは、「視点3」だけが、一人称でも三人称でも表現可能だというところです。

 

すなわち、人称を統一さえしていれば「視点がぶれる」パターンは、(視点1,3,5)の中でぶれる場合と、(視点2,3,4)の中でぶれる場合しかないのです。

 

しかも、「視点1」や「視点5」は一人称主観なので、基本ほとんどぶれませんし。「視点2」は徹底された客観視点なので、多少ぶれても説明文を乱発できて問題になりにくいなんでもあり体質です。※これが神視点と呼ばれる所以です。

 

「視点4」も心情描写ができないので通常は書きにくすぎます。大抵は、夢の中といった短編描写にしか用いられることはありません。

 

これらを踏まえてパズルを紐解くと、「視点のぶれ」が発生して問題が起きやすいのは、「視点3(=肩越し視点)」で三人称主語を用いているときに、「視点2」と「視点4」へぶれる場合がほとんどとなるのです。

 

言い換えると、視点がぶれるのは三人称視点で主観的に書いていたけど、なぜか主人公の知り得ない情報まで地の文でわかってしまうとアウトというパターンだけなのです。

 

続いては、「視点のぶれ」が発覚した時に修正する具体的な措置法を紹介していきます。





 

「視点のぶれ」の修正法


ここからの解説をみていけば、ご理解いただけるかと思いますが。「視点のぶれ」を完璧に修正することは、ほぼ不可能に近いでしょう。

 

読者から指摘されてしまった「視点のぶれ」を修正するのが、最も楽な対処法となります。

 

具体的な修正方法には「文学理論」を活用しようと思います。文学理論によると「視点」を左右する要素には、以下のような要素があるのではないかと推察されています。

・「視点」と関係を持つ文章のパーツ
  • 時制(過去・現在・未来)
  • 代名詞(再帰代名詞)
  • 視点ハイアラーキー
  • 主語の省略

 

解明されているものだけでも、これだけのパーツが「視点」に干渉してきてしまうのです。

 

・時制による視点操作
例文.1:わたしの前で、大きな犬が吠えている。
例文.2:わたしの前で、大きな犬が吠えていた。

 

(例文.1)では、文章が現在形となっていて「わたし」という登場人物の視点を借りて、地の文を描写していることがわかります。

 

一方、これを過去形にした(例文.2)では、「わたしの前で、大きな犬が吠えている」という状況を客観的に見ている第三者の視点を借りて、地の文を描写していることがわかるのです。

 

このように、文の時制が変わるだけで「視点」というものは、簡単にぶれます。

 

・代名詞による視点操作

代名詞とは記載していますが、要するに再帰代名詞(=「自分」という表現のこと)を使用しているか否かでも「視点」が変わります。

例文.1:きっと、米助は自分がここに隠れていることに気づいていない。
例文.2:きっと、米助は彼がここに隠れていることに気づいていない。

 

(例文.1)のように、「自分」という再帰代名詞を用いた場合、視点が主人公にあることが確認できます。

 

一方、(例文.2)のように再帰代名詞を用いなければ、視点が第三者になるのです。

 

・視点ハイアラーキーによる視点操作

「視点ハイアラーキー」って、どういう意味?と思った方も多いかもしれませんね。以下の例文を見ると、すぐにわかるとおもいます。

例文.1:彼は、冨永の方へと向かっていく。
例文.2:彼は、冨永の方へと向かってくる。

 

どちらの例文でも主語は「彼」となっていますが、カメラアングルは真逆です。

 

(例文.1)では、「向かっていく」わけですから、彼の背後を追いかけて感情移入しているような印象を受けます。

 

しかし、(例文.2)では「向かってくる」わけですから、彼を正面から見ている冨永に感情移入しているような印象を受けるのです。

 

このような、読者がどちらの人物に共感しやすいかといった、度合いのことを「視点ハイアラーキー」と呼んでいるのです。

 

基本的に、動詞を変更すれば視点のぶれを解消できます。

 

・主語の省略による視点操作

正直、「視点」と「文章表現」の間にある関係性を紐解く上で、最も大きな障壁となるのは「主語の省略」となるでしょう。まさに、ラスボスと言った感じです。

 

というのも、主語が省略されていると、判断材料そのものや証拠が無いことになるので。周りの文章や読者の解釈によって、視点が左右されてしまうからです。

 

こうなるともはや、視点がぶれているのかすらわからなくなってしまいます。こういった場合は、解釈がわかれないように、主語を省略しないようにすると応急手当は可能です。

 

逆に、これらを利用すれば自然に視点変更させることも可能です。

 

まとめ


まとめです。冒頭でお話した通り、視点がぶれる代表的なパターンは主人公の知り得ない情報が地の文に書いてOKなのか、NGなのかがぶれることによって引き起こされます。

 

どうしても「視点のぶれ」を乱発してしまうようなら、いっそのこと一人称視点で書くことをオススメします。まず、ぶれることが滅多にないからです。

 

また、シナリオ系のスクールでは「三人称」をオススメしてくると思います。これはメディア化しやすいからです。

 

どちらかというと作者ではなく、販売側の理屈なので一人称視点が好きなのであれば、迷うことはないと個人的には思います。

 

さて、長くなりましたが。これで「視点」と「人称」について悩むことは、もう無いと思います!

 

続いては、ここまで考えてきた『視点』という概念をどのようにして文章と連動させていくのか?見ていくことにしたいと思います。

 





 

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