『カタルシス』の意味とは?
みなさん、こんばんは。お久しぶりの方は、お久しぶりです。
創作支援サイト『作家の味方』の管理人らぴ(@kazakiribana2)です。
以前の記事や多くの参考書籍にも、悲劇においては「小説を書く際にはカタルシスが大切だ」といった議論がありました。
▼ 以前の記事 ▼
しかし、正直なところ文献が大学論文や古典というジャンルとなっており、解読があまりできていないのではないかという不安がつきまとうものです。
そこで、今回はあらためて哲学科で『詩学』を専攻されて教授の補佐をされていた方へ、インタビューをする機会を頂きましたので、その貴重な内容を公開しておこうとおもいます。(●´ω`●)
結論からまとめておくと、現代においても基本的に解釈は不明であるというのが専門家の見解でした。
ただ、国内の論文のなかでもとりわけ説得力が高いと思われる論文『Katharsis der Aristotelischen Poetik noch Einmal überlegt』が参考になると紹介いただきましたので、時間がある方は参考にしてみると良いかもしれません。
この論文の要点をかいつまむと、次の通りの解釈ができると思います。
- アリストテレスの著書『詩学』にあるカタルシスは「悲劇によって達成されるべき、おそれとあわれみの感情をふさわしいものとなす浄化」と解釈することができる。
- ここで言う「ふさわしいもの」とは、良し悪しではなく観客自身や誰にも起こり得る出来事であるという意味。
もうすこし簡単にまとめると、カタルシスとは性格や環境などによって誰でもやってしまう悲劇的な過失を観客に客観視させること。
および、それがおそれやあわれみといった感情を伴って「ただの過失である」ということをそれ以上でも以下でもなく。ありのまま(ふさわしい状態で)認めさせることという解釈ができるのではないかという主張のようです。
さて、ちょっと今回は難しいテーマになってしまいましたが、前回の記事の解釈はあながち大幅に間違っているというわけでもなさそうで安心しました。
「ちょっと難しくて何言っているのかわからなかったよ」という方は、物語を作っていくという視点だけであれば前回の記事や自著『筆を折った人のための創作論』に詳細を記載した(=悲劇やそれに伴うカタルシスとは、増長しすぎた人の理想を下げて適切な水準まで夢を諦めさせるための物語における仕掛けのことであるという)解釈で十分だと思います。
ご精読ありがとうございました!
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