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小説・映画における『カタルシス』の意味と例文!|物語からカタルシス効果を得る/感じるとは?

小説・映画における『カタルシス』の意味と例文!


カタルシス(英: catharsis)とは、本来は演劇学の(特に、悲劇に関する)用語で『心に溜まっている穢(けがれ)や鬱積(うっせき)を取り払い、浄化すること』を意味する語とされています。

 

ただし、カタルシスという語を確認できる最古の情報(アリストテレスの『詩学』)によると、古代ギリシア悲劇のなかで、同情を以て聴衆の精神を浄化するものとだけ言及されており、

 

どちらかと言えば古代ギリシアが持つ悲劇の良さそのもの、あるいは宗教的な意味合いが強いものだったと推察されています。

 

そのため、既に本来の意味とは異なって用いられている可能性もありますが、現代においては小説や映画に登場してくる人物に感情移入し、物語の展開によって心情を快い方向へ導かれることを総じて『カタルシス効果を得る・感じる』と表現することもあります。

 

これは医学用語において『体内から良くないものを排出し、浄化する』といった意味合いでカタルシスが用いられていることに下支えされた定説です。

 

しかし、カタルシスの語源は、古代ギリシアにおける『不浄を祓う清めの儀礼』を指す言葉から来ており、物語論においてアリストテレスの用いたカタルシスの真意は、いまなお解釈がわかれている状況です。

 

そもそも、カタルシスが述べられている最古の文献の一つであるアリストテレスの『詩学』および、その参考文献であった演劇『オイディプス王』をたどる限り、古代ギリシア悲劇の役割は『娯楽』というよりも『議論の視覚化』にあったとも言われています。

 

アリストテレスが詩学の中で『オイディプス王』を最高の悲劇であると絶賛しているのに対し、『オイディプス王』という物語は、ひたすら同情を誘うだけの凄惨な末路を描くのみで、現代人にとっては少なくとも単純な娯楽とは捉えづらいからです。

 

とても『快さ』にはいたらないでしょうし、どちらかと言えば演劇の目的である議論について聴衆の賛同を得ることを、カタルシスを得るとしていたようにも思えます。

 

そう捉えると、『オイディプス王』という物語は、当時のあるあるネタのようなもので、

 

当時の古代ギリシアには疫病や戦争が蔓延っていたのだから、運命というものはなんとも残酷なものだよなぁという人間の無力感を露骨に提し、

 

どうしようもなかったんだから仕方ないではないかと、疫病や戦争に立ち向かい自身の無力さに溺れる民衆たちへの説得あるいは救済を試みるものであったのではないかと思われます。

 

そういった意味で言えば、人々の無力さを許容してあげようとする一種の精神療法であり、まさに『浄化』であったと解釈できます。

 

このままでは、当時のあるあるネタは日本には通用しないため意味を少し拡張し、冒頭に示しておいたに溜まっている穢(けがれ)や鬱積(うっせき)を取り払い、浄化すること』を意味するところとなったと考えられます。

 

日本的に解釈するとすれば「余命わずかと宣告された妻のために医者を志すけれど、主人公には結局なにもすることができなかった」といった物語展開ですかね。

 

主人公は誰よりも頑張って結果絶望し、観客は同情するでしょうが。結局のところ、主人公にはどうすることだってできなかったように、うまく描くことができれば、少なくとも近しい人を亡くした観客の心には響くものがあることでしょう。

 

そういったニュアンスで、物語創作においては感動作品を作ろうとする際に重要となるのが、カタルシスという概念です。

 

『詩学』におけるカタルシスの解説


まず、アリストテレスの『詩学』というのは、物語や音楽といった芸術作品全般を作る方法論をまとめている学術書であり。

 

特に、悲劇にフォーカスして書かれている文献であることは、最初におさえておきたいところです。逆に言えば、悲劇以外には必ずしも通用するとは言えない理論です。

 

その中で、アリストテレスは以下のように述べていることが有名です。

悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為、の再現(ミーメーシス)であり、快い効果を与える言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである。
引用元:岩波文庫『アリストテレース詩学・ホラーティウス詩論』

 

これだけだと、難解過ぎるので一つ一つ解説していくことにしようと思います。

 

まず、厳密に言えば『詩学』においてカタルシスという言葉自体は、実はそこまで重要視されていません。

 

どちらかといえば、このカタルシス(浄化)を「どのように引き起こすことができるのか?」という部分について論じることが主眼だったことが読み取れます。

 

カタルシスを如何にして達成するかを考える際に、アリストテレスは『逆転(ペリペテイア)』と『認知(アナグノーリシス)』という語句を用いて説明しているのですが。

 

むしろ、この『逆転(ペリペテイア)』と『認知(アナグノーリシス)』の方が重要です。

 

『逆転(ペリペテイア)』と『認知(アナグノーリシス)』とは?


詩学において述べられている『逆転(ペリペテイア)』と『認知(アナグノーリシス)』の大雑把な解釈は、以下の通りです。

 

『逆転(ペリペテイア)』と『認知(アナグノーリシス)』
  • 逆転(ペリペテイア)… 劇中で登場人物が置かれている立場や感情が逆転すること。(いわゆる、起承転結の転のこと)
  • 認知(アナグノーリシス)… 登場人物が知らなかったことを知ってしまうこと。

 

アリストテレスが『悲劇とは何か?』という議論に度々持ち出してきている『オイディプス王』という作品を例にとると、以下のようになります。

 

オイディプス王における『逆転』と『認知』
  • 逆転(ペリペテイア)… 真相を知ったオイディプス王が犯人探しから自分探しをしはじめること。または、行動が裏目に出ること。
  • 認知(アナグノーリシス)… 自分が過去に父親を手に掛け、育ての親の実子ではなかったことを知ってしまったこと。

 

逆転と認知は本来別物ですが、オイディプス王においては同時に起こるので違いが分かりにくいかもしれませんね。

 

『オイディプス王』という作品のあらましについては、以下の動画を参考にしてみてください。結構短いので、サクッと見れるとおもいます。

 

▼【ご参考】第一回:オイディプス王の解説

 

▼【ご参考】第二回:オイディプス王の解説

 

>上の動画が見れない方は、こちら!

 

カタルシス効果を創り出す方法とは?


それでは、現代の物語創作においてカタルシス効果を出す(=高い共感そのもの、あるいは、聴衆に強い自己肯定感をもたらすため)には、どうすれば良いのでしょうか?

 

結論から言えば、『確定された運命』と『逆転(ペリペテイア)』、『認知(アナグノーリシス)』を筋書きにいれておけば良いだけです。※逆転と認知のタイミングは一緒にしましょう。

 

アリストテレスは、詩学のなかで『逆転(ペリペテイア)』と『認知(アナグノーリシス)』こそ、悲劇を悲劇たらんとしている『憐れみ(エレオス)』や『恐れ(ポボス)』を引き起こす最大の要因であると指摘した上で、

 

これらが同時に起きるオイディプス王という悲劇を絶賛していました。※「同時に」というのが、ミソだそうです。

 

あえて例えを試みるとすれば、穏便に事を済ませようとしていたけれど、襲いかかる矛に見えた本当は危害を加えないものを捉えた(=偽認知)ことによって、相手を倒したら(=逆転)、実は仲間だった(=再認知)とかですかね。

 

魔法少女まどかマギカに登場してくる『もうなにも怖くない』も有名なシーンですよね。あの場合は、逆転からの認知というよりは虚無ですが(汗)

 

わかりやすくするために注記しておくと、オイディプス王という作品において『憐れみ(エレオス)』というのは、破滅の道へ着々と向かうオイディプス王の生き様への同情のことであり。

 

それは同時に、オイディプス王へ感情移入している読者にとって『恐れ(ポボス)』られる結末であるという意味です。

 

もう少し現代風に言い換えてしまえば、『確定された運命とは逆方向へ果敢に挑んでいた(※とても道徳的で高貴な行為を成す)者が、運命の方向に誘導されるように方向転換する場面(逆転)』と、

 

『心情に変化をもたらすような驚愕の事実を知ってしまう場面(認知)』を同時に引き起こすと、より痛烈な悲劇を作り出せて、心を完膚なきまでにへし折ることができるというわけです。

 

この結果、感情移入している登場人物の鬱積した感情が絶望により猛烈な勢いで放出される様をみて、運命の残酷さを再認識した聴衆が、登場人物を我が子のようにあわれむことでカタルシスに至る(=自己を客観視し、承認を得る)のです。

 

このように、悲劇というのは『逆転』と『認知』を同時に引き起こすことによって、読者や聴衆により強力な『憐れみ』や『恐れ』を抱かせることができ、悲劇特有のカタルシスに至らしめることができる述べたかったわけですね。

 

どこかで「人間は大切なことをすぐにわすれてしまうから、物語を通してあたかも実際に喪失させられる経験をすることで失くしたものの大切さを思い出すことができるのだ」と聞いたことがあるのですが。

 

これも悲劇の良さの一つであり、読者があえて心をへし折られることによって得られる、一種のカタルシス効果のようなものですね。教訓と近い感覚なのでしょうか。

 

他にも悲劇と言えるか微妙なところですが、わかりやすい例としては、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのアン・マグノリアの話なんかも、似ているかも知れません(悲しい展開の作品であれば何でも良いです)。

 

アンが置かれている(親が生前が没後か)という状況の変転と、生前に親が何をしていたのかに対する認知ですね。

 

加えて、ヴァイオレットが泣くのを我慢していたという視聴者の認知と、初めて人間らしい泣き顔を見せた逆転を同時に起こしています。

 

※逆転は、登場人物または読者の予想を裏切る展開へ物語が進むこと。変転(メタバシス)は、幸福から不幸へ、もしくはその逆へ、話が展開していくことを指します。

 

とりあえず、もし悲劇を作るなら起承転結の転として、真相の認知を用いると、同情度合い・共感度合いが高まり効果覿面になるので、技法として活用できるかもしれませんということでした!

 

※拙作:天宮結衣のQ.E.D.にも逆転と認知、変転の構造を入れているので、是非に!(笑)

 

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小説の書き方・物語の作り方 – ライトノベル創作のコツまとめ!|初心者向け基本講座

 

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