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アリストテレス『詩学』の要約と感想まとめ!【岩波文庫】

アリストテレス『詩学』の要約と感想まとめ!【岩波文庫】


物語を創作する者にとって「どうすれば、もっと面白い物語が書けるようになるのだろうか?」という素朴な疑問というのは、常に付きまとってくることになるでしょう。

 

この疑問の答えを追求しようとする学問のことを、一般的に物語論(ナラトロジー)と呼びます。

 

そこで先人の知恵というものをお借りしながら、あらゆる文献を辿ってみていたのですが『物語の持つ魅力』の正体を突き止めようと辿っていくと、どうにもアリストテレスの『詩学』という著書に行き着くことがわかりました。

 

正確に言えば、物語論(ナラトロジー)の潮流というのは大きく2種類に分化しており、ロシア・フォルマリズムを中心とするマルクス主義やレヴィー・ストロースの構造主義と深い関わりを持つものと、

 

今回ここで説明していくことになるアリストテレスの『詩学』を、その源流に持つものとに分けることができるようです。

 

ちなみに、これをまとめあげたとされるのが、『プロットの書き方』のセクションでご紹介させていただいたフランスの文学理論家ジェラール・ジュネット氏であります。

 

アリストテレスの『詩学』を読み解くということは、創作者にとってみれば物語が持つ魅力の正体を把握しておくことで、うまい物語を「偶然出てくるもの」から「意図的に作り出すもの」へ変えてくれる知識になるとおもいます。

 

▼動画でも解説しておきました(`・ω・´)b





 

アリストテレス『詩学』に必要な前提知識


まず、アリストテレスの『詩学』の中身に触れていく前に、事前に知っておいたほうが良い前提条件となる知識たちがあるので、そちらから先に片付けていくことにしておきましょう。

 

というのも、実際に岩波文庫から刊行されている『アリストテレース詩学・ホラーティウス詩論(和訳)』のページをパラパラとめくっていただければわかると思うのですが、初学者からすればとてつもなく難易度が高すぎます。

 

正直なところ、前提知識を持っている私ですら読解作業の間に、結局5回ほども寝落ちさせられました(笑)。

 

アリストテレスという人物について


そもそも、すでに何度も登場してきている『アリストテレス』という人物ですが、一体何者なのかといいますと。紀元前、約300年以上も前に実在したとされている古代ギリシアの哲学者です。

 

そう考えてみると、2000年越しの書物を読むという体験は、多くの人にとっては始めての試みとなるかもしれませんね。私たち人類は、それくらい昔から物語を嗜んでいたということになります。

 

さて、感慨に耽るのはこの辺にして。哲学者であるというバックグラウンドは、後々の議論や思想に響いてきます。

 

アリストテレスは、人間の本性は「知を愛すること」にあると考えていたそうで、これをギリシア語では「フィロソフィア(哲学)」と呼んでいたようです。

 

フィロというのは「愛する」を意味する語で、ソフィアは「知」という意味を持つ語です。それらをあわせると「知を愛する=フィロソフィア(哲学)」となるわけですね。

 

アリストテレスは、時に「万学の祖」とも呼ばれることがありますが。これは彼が優れた哲学者であったこと、すなわち知識を追求する全ての学問(倫理学、論理学、数学、政治学、宇宙学、天体学、気象学、物理学、生物学、演劇学、詩学、心理学、神学など)に対して、多くの優秀な成果を残していることに由来します。

 

キリスト教というのもアリストテレスが体系化した神学に基づいて作成されているという説もあるそうです。控えめに言って、天才というやつですね。

 

ちなみに、『無知の知』という言葉で有名なソクラテスの孫弟子、プラトンの弟子にあたります。

 

『詩学』という言葉の意味


『詩学』という字面だけを見ると、詩(ポエム)に関する学問かと勘違いされそうですが、現代でいうところの文学や戯曲に関する学問のことを指します。

 

もう少し正確に言えば、『詩作(ポイエーティケー)』と呼ばれる芸術的に何かを作って表現する方法全般に関する学問の総称です。つまり、絵画や音楽、喜劇、舞踏の作り方なんかも詩学に入ります。

 

ただし、アリストテレスの著書『詩学』の中の話でいえば、とりわけ「物語(筋書き)に関する学問」のことを指します。そのため、あくまで演劇を中心として語られている書物となっています。

 

また、「小説やシナリオ系の専門学校では、一体何を学ばせているのだろうか?」というところが気になっていたところだったのですが、

 

どうやらアリストテレスの『詩学』近辺の話も実用的に教えているようですね。これは確かに独学では、理解するのが困難かもしれません。

 

『ミメーシス』が持つ本来の意味


アリストテレスの『詩学』という著書が、現代まで語り継がれている主な要因は『ミメーシス(模倣)』の認識にあると、私は考えています。

 

『ミメーシス』というのは、『模倣』という意味を持つ言葉です。

 

芸術というものはすべて現実の模倣であり、模倣の持つ不完全性が魅力の一つとなっていることがわかっています。

 

▼ 詳細な解説は、こちら!

ミメーシス&ディエゲーシスの意味を簡単に例で解説!|イデア論から学ぶ芸術・文学理論とは?

 

しかし、ミメーシスが持つ魅力は不完全性だけではありません。

 

ミメーシスには、本来『学ぶ(真似ぶ)』というニュアンスの意味も含まれています。

 

人間というのは、動物を模倣することによって発展してきました。つまり、家の作り方はツバメに学び、糸の作り方は蜘蛛に習ったという名言が残っているのですが。

 

学問においても、『学ぶ』というものは『真似をする』。すなわち、模倣することなのだと解釈していたのです。

 

それ故に、アリストテレスは勉強をするにしても芸術作品を作るにしても、我々人間には常に『模倣』を行おうとする習性があるのだと考えていたわけです。また、人間は模倣を好みやすいという傾向についても触れています。

 

模倣を好みやすいというのは、ホラー映画のような現実では遭遇したくない場面であっても、フィクションであれば人は面白がり。現実となった瞬間に、恐れおののき魅力をこれっぽっちも感じない。

 

模倣であるから美しいのであって、絵画も見た時に「これは、かのものであるだろうか?」といった思案を巡らせるために、知的興味・関心を向けることが出来るのだと説いているわけです。

 

つまり、人間は無自覚にミメーシス(模倣)を好む傾向を持つとしたわけです。

 

さらに、歴史と物語の違いについての指摘部分でも、アリストテレスは、ミメーシス(模倣)は本来学ぶことそのものなのだから『事実から普遍性を取り出す作業のことである』と述べています。

 

これは少し難しい部分なので、わかりやすく説明しますね。まず歴史というのは、事実の連続だと解釈されていました。あくまで、情報の羅列にすぎないというわけです。

 

しかし、物語は違います。その事実が連鎖する必然性や因果関係のようなものがあると言うのです。これがプロット(=筋書き)であり、上で述べていた普遍性に相当します。

 

そもそも誰かの模倣(モノマネ)をしようとすると、真似る過程で「この人は、こういう反応をする傾向がある」といった一種の法則性・普遍性を見出す必要があります。

 

『模倣』をするということは、そういった意味で法則性を見出す(=体系化・一般化する)ことだとも捉えられていたわけなのです。

 

面白くない物語をよく観察してみると、この体系や因果関係を持たない場面が、節々に混在している状態となっていることが伺えます。

 

例えるのであれば、「スーパーに買い出しに行く場面」の直後に、全く意図なしに無関係な「わかめダンスを踊る場面」を挿入されても、魅力ある物語は生まれないどころか、作者も読者もわけがわからないということです。

 

このように、事実と事実の間に因果関係といった体系的な構造を生み出しながら、模倣(物語創作など)をすることによって、より哲学的で魅力のある(=知的好奇心を刺激する)作品になるのです。

 

※人類が学問において、しきりに持論を体系化したがるのも、まさにココにあるのかもしれませんね。

 

・物語が魅力的である理由

ここまでをまとめると。『ミメーシス』というのは、あらゆる領域において『模倣』することを意味する言葉であって。

 

物語や学問が持つ魅力の正体というのは、このミメーシス(=模倣そのもの、もしくは模倣という体系化の過程で『気付き』を拾い上げて楽しむところ)にあるのではないかということが、述べたかったわけです。

 

逆に言えば、物語が単なる事実の羅列とならないように、プロットは存在しているとも言えるでしょう。

 

もっと易しく言えば、切り取っても読み進められる場面なら筋書きに法則性がないので、その場面は不要であると言いたいわけですね。でなければ、それはもう物語ではなく事実の羅列となってしまうのです。辞書を読んでるのと同じようなものなのです。

 

ここから極論として導き出されたものの一つが、「チェーホフの銃」だったのではないかと思います。

 

もちろん、コミックリリーフ(喜劇)といった物語における緊張緩和剤のようなものもあるので、各場面が物語において必要か不要か、どういった基準で考えるべきかという議論は、別途発生し得るでしょうけれど。

 

つまるところ、プロット(筋)の存在意義は、ミメーシス(模倣)の産み出す『気付き(認知)』や『不完全さ』といった魅力を担保するところにあるというわけです。

 

結局、学習というのは物事の因果を見つけることによって、事実が綺麗に結び付くとき(=気付きの瞬間)に、快楽を得ているのであって、

 

これを人為的に架空の世界で再現したもの。すなわち、物語世界で様々な事実たちを登場させた後、それらを体系化する一連の流れをみせつけ、

 

擬似的な気付き(認知)をストーリー展開と共に読者に提供することで、魅力的にみせるものが物語というアートなのだということなのかもしれませんね。

 

この気づき・認知のことを詩学では「アナグノーリシス」と呼びます。これも後の議論で重要となってくるので、一時的に覚えておくと良いでしょう。

 

これがアリストテレス著『詩学』の前半に述べられているものです。まさに、「知」を愛していた哲学者、アリストテレスらしい論述だと思います。





 

魅力的な筋書きとは何か?


正直なところ、アリストテレスの『詩学』を学んでいて、最も衝撃的だったのは『ミメーシス』の話の部分でした。

 

一言でまとめれば、適度な不完全さを意識した上で、ストーリー上で削除しても問題ない場面は削除すれば大体面白くなるということです。

 

『詩学』では、ミメーシスについて触れた後、悲劇的な物語のみに、スコープして話を進めています。

 

ただ、ここから先も読んでみるとわかるのですが『~でなければならない』という語調が非常に多く。喜劇に対する批判的な態度も露骨に出てくるので、賛否両論出てきそうだなと思いました。※もちろん、それなりに頷ける内容です。

 

そういうわけで、次の記事では個人的に為になりそうだと思ったポイントを数点だけ挙げて終わりにしようと思います。

 

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