読書や小説が嫌いになってしまう本当の理由とは?
みなさん、こんにちは。創作支援サイト『作家の味方』の管理人らぴと申します。
読書や小説が嫌い。あるいは「嫌い」というほどではないけれど、やっぱり心のどこかで「めんどくさい」と感じているという方も意外と多いのではないでしょうか。
毎日読書しているわたし自身ですら、たまにめんどくさいと感じることがあるほどです。それでは、なぜ人は読書をめんどくさいと思ってしまうことがあるのでしょうか?
その理由は意外とシンプルなもので、現代人が「自分で考えなくても、快適に暮らせる世の中に生きているから」なのだと思います。
といっても、すこしわかりづらいと思いますので、一つ一つ段階を踏んでお話していくことにしましょう!
読書は単なる情報収集ではない
つい、やってしまいがちですが「読書」と「情報収集」は明確に違います。
たしかに、読書が結果として情報収集につながることはありますが、読書の目的は情報を収集することではないはずなんですよ。
だって、要点だけが知りたいだけなのであれば「小説」といった物語の形を取る必要なんて、最初からないはずだからです。それこそ、まとめ記事で十分ではないでしょうか。
「小説」と「ストーリー性のない文章」との違いと言えば、文章の構造が「読者自身に考えさせる余地を残しているかどうか」でしょう。
つまり、小説といったストーリー性のある作品においては「もし、こうだったら?」とか「こういう問題は、どうやって解決されるべきだろう?」という問題に対して、読者が自発的に考えることを促す構成となっているのです。
それに対し、ビジネス書を始めとするストーリー性のない文章においては、作者が訴えたいことを読者が聞くだけという非常に受動的な構成となっているわけです。
こういったことを勘案すると、「小説を読む」という行為はインプットではなくアウトプットであるということを理解しておかないと、読み手としては「冗長で要点を得ない文章だなぁ」という感想にとどまってしまうのでしょう。
もしかして、それは情報中毒かも?
最近、健康に関する書籍を読み漁っていたのですが、砂糖がいかに健康に害をなす存在であるかという興味深い研究結果を知ることが出来ました。
かんたんにまとめてしまうと、砂糖を補給することで血糖値が一時的に上昇するときに、人間の脳みそはドーパミンを分泌するため、人は砂糖がどうしようもなく欲しくなる生き物だというお話です。しかし、これを続けていると身体に大きな負荷を掛ける結果となり、糖尿病を始めとした生活習慣病や病気の原因となってしまうというのです。
実のところ、人が読書を嫌いになってしまう(=自分で考えなくなってしまう)理由も、おおよそこの砂糖中毒と似たようなプロセスを辿ることによって起こっているのではないでしょうか。
今の時代、どこかの偉人が生涯を書けて考えたことや、賢い研究者が弾き出した最先端の「気づき」をわたし達は、ほとんど無償で手軽に仕入れることができるようになりました。
だからこそ、「自分で考える」よりも「人に聞いたほうが早い」という状態になってしまっているわけですね。
読書をしない理由として、時間がとれないからという人がいらっしゃいますが、こういった方は気づけば『情報中毒』に陥っているのかもしれません。
逆に、たとえ日頃から役に立つ情報を仕入れたり速読や多読をしていたとしても、小説といった要点が間延びしている作品が読めない状態になっているとすれば、自分で考える能力がすでに衰えてしまっている可能性があることを示しているのでしょう。
これは恐ろしいことです。なぜなら、人は読んだ本の内容よりも、自分が書いた内容のほうがよく覚えているし人生に活かせるからです。
だれしも、人とのコミュニケーションのなかで「説得力」を必要とすることがあります。しかし、その説得力とは自分自身で考えたものでなければ、人の心にはなかなか響きません。
「説得力」があれば、ある程度人の心を自在に動かすことができるようになります。どこかで、年収を決定している最も重要な要素は「説得力」だと聞いたことがあります。
もし説得力を磨くことができれば、観客を感動させる物語を書くこともできます。プレゼンや商談・交渉、自分のメンタルコントロールだって意のままにこなすことができるようになるでしょう。
砂糖断ちが大変なのと同じように、むやみな情報収集を辞めて読書に励むのは大変なことでしょう。
ただ、その波を乗り越えて「読書が楽しい」と思える日がくれば、あなたも自然と「読書」に隠された真の魅力を体感することができるようになるでしょう♪
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