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物語・ラノベ創作に使える『プロットの考え方』まとめ!|創作熱が冷めないコツとは?

物語・ラノベ創作に使える『プロットの考え方』まとめ!


みなさん、こんばんは!創作支援サイト『作家の味方』の管理人らぴと申します。

 

小説や物語を書こうとすると、どうにも「プロット」というストーリーにおける設計図のようなものが大切になってくるらしい、ということはわかったけれど、具体的にはどうやって考えればいいのだろう?などと疑問に思われる方も、少なくないのではないかと思います。

 

というわけで、今回は以下の動画で説明しておいた「プロットとは何か?(=説明の順序立てのこと)」や「プロットが何故重要なものなのか?(=人類が法則性に魅了され続けてきた歴史があるから)」に続けて、具体的にどうやって物語のプロットを考えていけばいいのか?

 

そして、プロットを考えることによって創作熱が冷めてしまうといった現象が時折引き起こされるのですが、これをどうやって回避できそうかという考察を語っていくことにしたいと思います(`・ω・´)b

 

▼ プロットの意味と正体とは?

 

プロットの考え方


まずは、結論から語っていくことにしましょう。プロットの考え方で迷ったら以下のステップを踏むと、迷いが晴れる可能性が高いと言えるのではないかと思います。

 

1.物語が扱っている「謎」や「問題(テーマ)」を明確に!

例:「もしマスクに特殊能力が付与できたら?」、「もし好きな人の部屋が隣だったら?」、「どうして寿司は美味しいのか?」など

 

2.謎の正体や、問題の解答に求めるものは「願望」か「解答」か?

上の動画でもご紹介しておいたのですが、人が話すときには「共感してほしいとき」と「論理的に解決して欲しいとき」というものがあります。

 

もちろん、両方を兼ね備えた物語を作れるのがベストではありますが、初心者のうちから実現するのは技術的にも精神的にも負担を肥大させる恐れがあるので気をつけたいところです。まずは、どちらで読者に語りかけたいのかを整理しておくと良いでしょう。

 

例:「相手を思い通りに動かす説得術が付与されたマスクで、腐敗組織を一掃する(願望)」、「好きな人のとある秘密を知ってしまい、守り抜くことを誓う(願望)」、「老舗の板前は〇〇を最も大切にしていた(解答の一例)」

 

3.謎の正体や問題の解答に至るまでの過程を考える。

物語における主題(謎や問題)に応じるものが、作者の「願望」である場合は周囲のさまざまな意見を取り入れて、みんなが「なぜそうなってほしいのか?」、「そうしたいのか?」を聞いてみると、多くの人が共感する願望(結末)を見つけ出すことが出来るようになるでしょう。

 

そういった願望(結末)とは程遠い舞台で起こる物語を加害や欠如によって始め、人々の悲願を叶える物語にするも良し。

 

何度見ても良いと思えるような焼き増し展開の中に、ちょっとした独創性を加えることで、読者を飽きさせないもの良しだと思います。

 

逆に、物語の主題に応じるものが「解答」である場合は、解答に至るまでの論理的な裏付けを自身の経験談などと照らし合わせながら、登場人物たちの『行為』を以て物語世界において再現させることが重要になるでしょう。

 

といっても、具体例が無いとわかりにくいですよね(笑)

 

■ 具体例:主題に応じるものが「願望」である場合

例えば、「もし好きな人の部屋が隣だったら?」という主題を設定するとき、作者自身は「好きな相手が騙されていることを壁越しに知ってしまい、相手を救い出すヒーロー的な展開」を願望として持っていたとしましょう。

 

すると、類似する作品がいくつかあったりすると思うので、自分で過去に読んだことある本があれば「良かった点」をメモしておいたり、知人との会話の中で妄想を膨らましてみましょう。

 

※この時に、過去に読んだ本をがっつり読み直したりすると、自作に対するオリジナリティのハードルが上がりやすいので、アマゾンレビューなどで比較的抽象的な感想を拾い上げたほうがいいかもしれません。読書世論調査といった統計白書も、大変役立ってくれるでしょう。

 

そこで、作者はこういった展開を人々が好むのは、もしかすると「好きな相手や自分が持つ不器用さを、互いに認め合いたい」と思っていたからなのかもしれません。

 

すると、好きな相手や自分の不器用さを伏線として、ストーリーに組み込む必要性が出てきます。

 

例えばの話なので、かなりシンプルなプロットを考えるとすれば、読者には「不器用さを何気なく見せる → 後に互いの過ちを知る」といったような順序で説明することになるでしょう。

 

これが逆であれば、後出しジャンケンのように伝わってしまいそうなものです。

 

そして、この順序立てこそが『プロット』の正体なのですから、「プロットの考え方」なんて考えていなくとも作者は自然とプロットを考えることができるようになっていることでしょう。

 

■ 具体例:主題に応じるものが「解答」である場合

では、「経営者の仕事とは何か?」という主題を設定したとき、作者自身は「人々に夢を与えること」を解答として持っていたら、どうすればよいのでしょうか?

 

もちろん、こういった思想的な解答というのは一意的(=必ず一つというわけ)ではないでしょうから、あくまで一例だと考えてください。

 

こういったケースにおいては、作者に並々ならぬ思いが執筆の背景にあることが多く、エンタメ小説の領域で扱うには、少々内容が重くなってしまい、大衆への「共感性(感情的な説得)」を欠いてしまうことも多々あります。

 

したがって、本当はエッセイやノンフィクション、ハウツー本として販売する方が圧倒的に書きやすいのですが、ドストエフスキーの『罪と罰』や『コンビニ人間』といった思想的な作風の文学作品も、数としてはそれなりに存在しているので技術力は相当に要しますが、不可能というわけでもありません。

 

具体的な手法としては、問題自体を人類共通のものとし、作者と主人公を切り離すというものがあるでしょう。特に、一人称小説においては作者の主観が主人公の考えと直結していることは少なくありません。

 

しかし、これでは客観性を欠いてしまいます。論理的に人を説得しようとしつつ、感情論的にも問題自体への関心を読者に幅広く抱いてもらうためには、第一に問題を自分事として捉えてもらうために社会現象とリンクさせる必要がでてきます。

 

その上で、「〇〇が解答である!」と作中で語られても人というものは、それぞれに生まれも育ちも違いますから「前提」が異なれば、出てくる解答も異なってくることを忘れてはいけません。

 

そういった場合には、登場人物を増やし、いろんな考え方や前提を持った人物を記号的に配置し、群像劇のような形式をとって描いていくのが比較的ラクな表現方法なのではないかと思われます。

 

どうしても一人称で書きたい場合は、主人公に極端な考え方をする人を配置すると、読者と主人公の切り離しができるため、そういった異化効果を用いると良いでしょう(例:トイ・ストーリーのウッディのように、人間と価値観が違う視点を持った主人公)。

 

コラム:プロットを詳細に詰めすぎて、創作熱が冷めるときは?

さて、初心者の頃は、物語をうまく書くためには『プロット』というものが必要らしいと聞いて、プロットを詳細に詰めすぎた結果、1冊分の文字数(約12万文字程度)を書いている途中でいつのまにやら創作活動が単純作業と化し、創作熱が冷めたという悩みに直面することも多いでしょう。

 

その原因と対策としては、どのようなものが考えられるのでしょうか?

 

結論からいえば、プロットを作るという作業は極端にディエゲーシス的、つまり「論理的な作業」なのですが、逆にひらめき(発想)には「非論理的な要素」が不可欠なので、こういった苦悩が発生するのだと思います。

 

例えば、人は激怒している時には計算能力が低下し、計算している時には人の激情は抑制されることが知られています(怒りそうになったときは、暗算するといいらしいです)。

 

このことからも分かる通り、人間は「感情的な話」と「論理的な話」を作業を同時並行的に処理することが困難なのです。

 

そのため、プロットという論理的な物語の設計図に熱中していると「こういう作品が書きたい!」といった、感情的な創作熱が冷めてしまいやすいというわけですね。

 

そういったときは、プロットを詰め過ぎです。発想法の基本である「偶然(ランダム)」による解決策が好ましいでしょう。

 

もっと具体的に言ってしまえば、登場人物の行動を「タロット占い」や「TRPG」などのように偶然と作者の願望が折衷しているような状態で決定付けていくことで、プロットに遊びを作ってあげることができるでしょう。※ご参考:お手軽無料タロット占いサイト

 

人は100%当たるくじ(既定路線)があっても、絶対に当たらないくじ(理不尽)があっても満足できない生き物なのです。

 

ちょうど良い確率で発生してくる偶然が、作品にリアリティやギャンブルのようなエンタメ感を作者に与えてくれているのかもしれませんね。

 

もしかすると、神話における『予言』が果たす役割も、実のところ読者だけではなく、作者自身や言伝える人々すら楽しませるためのカラクリだったのかもしれませんね(*´艸`*)

 

さて、物語は「人を説得する道具」として、長い歴史を政治や言論といった分野に刻んできましたが、古代ギリシアの民主政治が成立する以前、すなわち「物語(弁論術や詩学)」による民衆の説得の前には「占星術」によって、人々は説得されてきていました。

 

おおよそ、完全に欲望のままを伝えるのであれば、民衆は説得できなかったので「占い」という形で「自他の欲望」を第三者(神や運命といったもの)の仲介を経ることで折衷していただのでしょう。

 

その後、言語の発達とともに人々は「言い負かせるかどうか(弁論術)」で説得しあい、時に「正しさ(学術)」や「心地よさ(詩論)」を見つめ直しながら、説得術は今日も統計学(人工知能)や構造主義といった様々な技術や思想の発展によって独自の進化を遂げています。

 

だとすれば、いずれ来る『人工知能(AI)が私たちの人生にとって最高の「YES/NO」をズバリ答えてくれる時代』で、人々は「自由な意志」と「高度な未来予測」、どちらによって説得されることを望むのでしょう?

 

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