才能がない人でも幸せになれる生き方とは?
こんにちは。創作支援サイト『作家の味方』の管理人らぴ(@kazakiribana2)と申します。
他人に「才能がない」と言われたり、不断の努力が身を結ばなかったとき、なんともいえない息が詰まるような閉塞感に陥ってしまうことってありますよね。
そんなことを言われてしまったら、まるで身体の芯にあったはずの体温が急激に下がってしまったようで、もう食べたり悩むのすら嫌になってしまっても人としておかしくないでしょう。
私自身も個人ブロガーとして法人サイトと日々競い合っているので、生活費が一瞬で消えることもありますから、努力が報われない気持ちはよくわかります。
また、私は小説家や個人事業主と関わることも多いので、アーティストや起業家といった人たちの苦しみや自殺率は、どうにかできないものかという強い想いがあります。
そこで、そもそも何故アーティストの自殺率は高いのか、そもそも芸術とは一体何なのか、起業とはどういうことを意味するのか、才能やセンスと呼ばれているものは本当に存在するのか?そういったことを長らく考えてきました。
そして、ようやくまとまった見解を打ち出せたので、そういった問題の一つ一つを丁寧に紐解いていくことにしたいと思います。
芸術家や経営者の自殺率が高い理由
あえて自殺率が高い理由を結論から述べておくとすれば、芸術家も経営者も『理想』や『将来の夢』を生み出し続ける仕事だからでしょう。
つまり、「やりたいこと」を次々に生み出すが故に、自らハードルを上げてしまい、埋めることのできなくなった理想と現実のギャップに苦しんでしまっているというわけですね。
理想と現実が乖離しすぎてしまう要因には、さまざまなものがありますが『ゴールの設定ミス』が非常に多いように感じます。
例えば、あなたが小説家を目指しているとしましょう。しかし、どれだけ努力してみても文章を書くのが苦手で、読まれない。そんなとき、どうすればいいのでしょうか。
練習するというのもありきたりで悪くない選択ですが、『小説家になる』ということをゴールにしなければいいのではないでしょうか。小説家になってから何がしたいのかのほうが重要ではないかということです。
バンドマンにしても、シナリオライターにしてもバンドマンになることやシナリオライターになること自体が目的ではないはずです。バンドマンになって何がしたかったのか、シナリオライターになってから何がしたかったのか、もう一度考え直してほしいのです。
例えば、小説を書いて人を笑わせたいのであれば、人を笑わせる目的からして小説である必要は別にありません。
辞書によれば才能とは「物事をうまく成し遂げる能力のこと」を意味するそうですが、残念ながら才能やセンスというものは確かに実在します。幼少期の教育だったり親の遺伝的な性格によるものだったり、後天的なトラウマによるものもあるからです。
ただ、自分にはこの道の才能がないと気づいたのなら、手段さえ変えてしまえばいいと思います。小説でダメなら、人を笑わせるツイートを繰り広げるインフルエンサーになるでも、サイト管理人になるでもいいじゃないですか。
得てして、他のジャンルで名が売れたあとに、本当に好きだったことに挑戦して成功を収めるケースは少なくありません。これは手順の問題です。
芸人として有名なヒロシさんも今はキャンプ系ユーチューバーとして活躍しているそうですが、キャンプをして生計を立てるなんて誰ができると思っていたでしょうか。
本当に「やりたいこと」を持っているのだとすれば、ゴールの再設定を試みると苦しみも少しは緩和してあげることができるようになることでしょう。
ちなみに、人は感情的になりながら論理的なことは考えられないという性質を持っているので、怒りそうなときは暗算してみたり、会社に行くのが嫌すぎるときにはテトリスのタイムアタックでもしているとすこしは楽になるそうです。
自分が本当にやりたいことを見つけるためには、哲学を勉強してみるのが最も効果的でしょう。はじめて哲学に触れるという方には『史上最強の哲学入門』なら爆笑しながら、すんなり読めると思います。個人的にはAudibleのほうが好きです(笑)
才能がある≠幸福である
さて、ここまでは「手段を変えてみれば良いではないか」と述べてきましたが、人というのは自分が考えた手段が正しいと思いこんでしまう悪い癖があったりもするものです。
例えば、自分は小説を書く練習をもう10年もやってきたのだから、小説以外の道に鞍替えするなんて考えられないとか、起業して従業員もいるからとても簡単には会社の方針を急変させることはできないといったものですね。
心理学的にもコンコルド効果とも呼ばれるものがあることは証明されていますから、これはなかなか厄介な課題でしょう。それ故に、人は自分に才能さえあれば、いまよりずっと幸福な気分になれるのにと思いこんでしまいがちです。
ただ、そんなときにおいても「才能があること」と「幸福であること」は、別物であるということは忘れないでほしいと思います。
達成したいことができないのは辛いでしょう。しかし、叶えたい夢がいともたやすく達成されたとしたら、どうでしょう。それは本当に幸せな状態だと言えるでしょうか?
人という生き物は、どこまでも貪欲なものです。ある夢を叶えたら、すぐに次の夢を探し出してきます。これでは、いつになっても人が満たされることはありません。
理想と現実の差を埋める能力も大切ですが、理想ばかり追い求めて『現実の良さ』を見失ってしまうこともまた危険です。
逆に考えてみてください。いまだって1日3食の生活ができているじゃないですか、日本にいる限り蛇口をひねれば飲める水はでてきます。ちょっとやそっとのことで、病院代も払え得ずに野垂れ死ぬなんてことは今の時代ありません。
常に将来しか見ていないのであれば、いまは永遠に楽しめません。いまが楽しめないのだとすれば、今後もずーっと楽しむことはできないでしょう。未来というのは現在の積み重ねに過ぎないのです。
それでは、どうすればいまを楽しめるかというと「理想」も「現実」も一度幻想に過ぎないと一蹴してしまって、本当にそこにあるものは「ただどう感じるか」だけだということに気づくことでしょう。
つまるところ、自分自身に自分がいま楽しいのだということを説得できれば、事実がどうあれ全く問題ないということです。最も大切なことは、自分が納得できる物語の方なんです。
元々、物語というものは政治演説からスタートしていますし、だからこそ人は他人が考えた物語(=他人が直面した課題から解決するまでの一連の流れ)を好んでヒントとして消化しているのかもしれませんね。
こういった考え方をする際には『アート的思考』というものが役立ってくれると思うので、以下の記事に書き残しておきました。よかったら参考にしてみてください♪
情報収集と忘却することの重要性について
才能というのは、自分の持っている理想と現実の差を埋める能力、言い換えれば『課題』をうまく解決していく能力のことを指すわけですが、課題解決において見過ごされがちなものに「情報収集力」と「忘却力」という能力があります。
画期的なアイデアがあれば、今までの努力はなんだったのかと言いたくなるほど容易く問題を解決できることはよくあります。
しかし、そんな「アイデアの作り方」についてしっかりと取り組んだことのある人は、一体どれくらい居るでしょうか。わたし自身、かなり知るのが遅くなってしまいました(笑)
まだ発想法という技術について取り組めていないまま、理想と現実の差に苦しみのたうち回っている方は、手始めにジェームス・W・ヤング氏の『アイデアのつくり方』を冒険の書としてあげると良いでしょう。
まとめ
まとめです。才能やセンスがなくて辛いときは、それが自分にとって本当に必要な才能なのか一度見直してみると良いでしょう。
もし仮にそれが本当に必要な才能だったとしても、「夢を叶えること」と「いま幸福であること」は全くの別問題であることを正しく理解しましょう。
その上で、どうしても叶えたい夢や目的地があるのなら、アイデアのつくり方について真面目に取り組むと良いでしょう。また、いろんな本を読んで人の答えをカンニングしていく貪欲さも必要です。
できることから一歩ずつ。どうしても叶わないときは、礼節を持って人に頼ってみましょう!
あなたは、一人ではないのですから。
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