本当に価値のある作品とは?
本当に価値のある作品とは、どんな作品のことを言うのでしょうか?
私は、『人に気付きを与える、伝わりやすい形に整理されたもの』だと考えています。
例えば、小説やアニメを見るとき、無意識に何かを期待している自分がいませんか?
与えられて始めて気付くことの方が多いように思えますが、アニメや小説を読んだ先に『何か』があると思っているから手をつけるのではないでしょうか。そこに価値があるのです。
そして最低限、伝わりやすい形式になっていることも兼ね備えておく必要もあるでしょう。
そういうわけで、本当に価値のあるコンテンツとは
『人に気付きを与えてくれる、伝わりやすい形に整っているもの』なのだと思います。
それでは、私たちは読者にどんな気付きを与えられそうでしょうか?
最初は、大半の方が無理やり作り出した気付きを伝えていくことになります。そうして『ある問題』に直面するのです。
有益なコンテンツ製作を悩ませる『ある問題』とは?
その問題とは、『専門性の欠如による自信喪失』です。気付きを与えることは想像以上に難しく、時として机上の空論を説いてしまう危険性も孕んでいます。
これは、サイト運営者やブログの例で例えるとわかりやすいです。
このサイトもそうですが、世の中のブログやサイトには様々なノウハウが書き残されていますよね。
しかし、残念ながらどのサイトも必ず専門家が回答しているというわけではありません。むしろ、素人が大半です。
記事の書き手としては、専門家ではない自分がノウハウ記事なんて書いていて良いのか?という問題に直面するのです。
小説においても同様の現象が起こることがあります。
例えば、障碍を持たない作者が『障碍を乗り越えてゆく主人公』を描くときなんかがあげられるでしょう。
障碍を持っている人の気持ちを、障碍を持っていない自分(作者)が本当に理解できるはずもないと挫折して描くのをやめてしまうのです。
しかし、『わからないもの』を書くことは本当に悪なのでしょうか?
『わからないもの』を書くことは悪か?
有名な話に、「研究者」と「教師」は違うというお話があります。
数学の教師は、ある程度数学についての知識は持っていますがその道の専門家ではありません。
専門家に比べれば間違った指導をすることもあるでしょうが、給料をもらいながら数学を学生たちに教えています。
これはブロガーにも同様のことが言えるでしょう。ブロガーは専門家ではないですが、いろんな知識をサイト上に残し、人の悩みを解決していきます。
それが時に、見当違いだということもあるでしょう。 たしかに、それは読者にとって不利益なことですが、人はどうしたって間違えるものです。
また、ある特定キーワード(=「小説の書き方」など)に対して、異常な執着心を持って毎日のように調べものに明け暮れていているという人、これがブロガーやサイト運営者の実態になるわけですが、そもそも専門家とどんな違いがあるのでしょうか?
専門家とブロガーとの差は、結局のところ『人に信頼されているかどうか』にすぎないのだと思います。
そして、人に信頼されるためには『何度も人の視野を広げ、あっと驚かせること』や『忘れていたことを思い出させること』が重要になってきます。
なので、いま自分の専門性に自信がなかったとしても『人に気付きを与えること・人のために成りそうなこと』に意識を向けて、描き続けていけば結果は付いてくるのではないでしょうか。
『正しさ』は『理想』と似ているという話
得てして、『正しいこと』が必ず良いとも限りません。分かりやすい例をもう一つ上げてみましょう。
世の中では、「マーケティング」なんていう言葉を用いて統計学に必死になっている会社も多いようです。
しかし、数学・統計学・金融工学を専門とする大学院を出た私からみると、明らかに間違いだらけの計算式が実務で使われていることは多いです。
有名な統計手法で数値を導き出した後、(謎の補正値)がよく掛け算されることがあるのです。そして、その謎の補正値は、特に数学的根拠もなければ政治に基づくものであることもしばしばあるようです。
その謎の補正値をかけられた数値は、何の意味も持たない文字通りの「数値」です。と、ここまでを読むとあたかもそれが悪いように聞こえるかもしれませんが、私はそうは思っていません。
というのも、数値を完璧に導き出せばいいのでしょうか?資本主義的な考え方から言えば、大した意味も持たない数値に一々研究機関の検査を設けるなんて非効率的と言わざるを得ません。
では、逆に全くあたりを付けずに数値を弾き出せばいいのでしょうか?そうでもないですよね。
正しい数値を出すのは理想ですが、現実はそんなに融通が効くものではないということです。
大切なのは『正しさ』というよりも『理想に近づける努力と、それによって人に喜ばれること』なのではないでしょうか。
というわけで、今回は本当に有益なコンテンツとは何か少しばかり考えてみました。
「知ったかぶり」というと言い方は悪いですが、知ったかぶりでも人のためを思って考えた末に間違えた結果なのであれば、少なくともあなたにとっては『無益なコンテンツ』ではないと思います。
というわけで、今回は「わからないことにも、恐れずどんどんトライしていきましょう」というお話でした!自分がわからないことは他の人も分かっていないことが多いです。
結果は後でついてくるので、自信をもって動きながら考えることが大切だと思います。ご精読ありがとうございました♪
↓
≫ Lecture.11 読書感想文・批評文の書き方
≪ Lecture.9 小説という媒体の持つ強み
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