批判を気にしないで受け流す方法!
みなさん、こんにちは!創作支援サイト『作家の味方』の管理人らぴ(@kazakiribana2)と申します。
小説や絵を書いていると、人からの感想がほしい反面、罵詈雑言を吐かれてしまって辛い気分にさせられてしまうこともありますよね。
仮に罵詈雑言と言う程ではなかったとしても、優しいアドバイスすら時として心に突き刺さるときもあったりするものです。
というわけで、今回はそういった創作活動における批判や酷評との付き合い方について、適度に気にせず受け流すためのマインドセットについて物語を例に考えてみました。ぜひ、活用してみてくださいね♪
物語(芸術)は『お薬』だと考えよう!
例えば、留年してしまったことをコンプレックスに持っている主人公の物語を書くとしましょう。主人公は、周囲にばれたら馬鹿にされないだろうか、惨めな思いをしてしまわないだろうかといった不安を抱えているかもしれません。
このように、ほとんどいつも物語というのは「不安」によって、始まっていくことがよく知られています。
そして、主人公の周囲に信頼できる仲間が増えていき、この不安を安堵に変えられたとき物語は幕を降ろすような設計を施されているわけですが、こういった物語の構造をみていくと物語というのは『人の悩み』や『不幸』をどう乗り越えていくかの過程を淡々と描かれたものに過ぎず、その本質は読者の悩みに対する「お薬」のようなものだったりするんですよね。
「悩み」というのは、基本的にこういった理想と現実のギャップによって生じるわけですが、このギャップを埋めることが現実的に不可能となってしまったときには、理想も現実も幻想に過ぎず本当にそこにあるものは「ただどう感じるか」だけだということに気づく必要があったりします。
すこし粗雑に言ってしまえば、たとえ将来の夢を叶えられていなかったのだとしても「自分がいま心の底から幸せだ」と思っていたとしたら、それはもう紛れもない幸せだということですね。
そのために必要になってくるのが、自分自身を説得し「自分はとても幸福だ」と言わしめるストーリーなのではないかという仮説です。現に、人類というのは長い歴史のなかで何度も神話や宗教という形で、自分たちに必要な物語を紡いできています。
さて、それでは物語が「お薬」なのであれば、批判や酷評というのはどういう心理によって生じているものなのでしょうか?
ちょっと想像してほしいのですが、例えばあなたが胃薬を作って仕事場で誰でも使えるお薬ボックスに入れておいたとしましょう。そこに、胃の調子は良いけれど貧血の人が来て、勝手にボックスに入っている胃薬を飲んでいきました。
結果はお察しの通り「これ貧血用の薬じゃない!」となるわけですね。要するに、あなたが用意した薬はその患者に適したものではなかったというまでの話なのです。
こう考えてみると「なんでこんなひどいこと言うんだろう?」というよりも、「この商品名(タイトルやあらすじ)だと、貧血薬と間違えて胃薬を飲んで怒り出す人が増えるかもしれない!?」と、ソフトなマインドに切り替えることができるようになるでしょう。
ある意味、読んだ感想として酷評を書くというのは、自分が求めている薬とは真逆の効能を持った薬を投与されてしまったときに生じる現象なのだと思います。
例えば、異世界の冒険を楽しもうとルンルン気分で読み始めたら、ゾンビが住宅街を蹂躙しているグロテスクで気を害する内容を詰め込んだ作風だったとか、ゴシック系の気品漂う作品だと思って読んでいたら下ネタが炸裂するギャグ系小説だったとかですね。
こういった作品のタイトルやあらすじから想像できる内容と、実態があまりにも食い違ってしまっていると詐欺にあったかのようなクレームを食らうことがあるので気をつけましょう。
逆を言えば、それ以外の批判については全く気にしなくて大丈夫です。なぜなら、胃薬と書いてあるパッケージの胃薬を飲んで「これ便秘薬じゃねぇ!」と叫ばれても、お門違いもいいところだからです。
人格否定は批判ではない
また、稀に人格を否定するような感想を書いてくる幼稚な方もいらっしゃるようですが、人格否定は批判でもなんでもなく、それはただの嫌がらせです。
そういった感想を書く人がいると、わたしも本当にムカついて歯磨き粉を大量に出してしまうことがありますが、チョコミント味の歯磨き粉にしていれば平気です。
そういうときは、ハムスターのかわいい寝顔(『ハムスターと寝落ち』というYOUTUBEチャンネルがおすすめです)をみたり、ゆったり花風呂に浸かって心を目一杯癒してしまいましょう!(`・ω・´)ゞ
辛いことは、どうしても深く深く考えてしまいがちです。でも、そうやって悩んでいる時間を過ごしていれば、相手の思うつぼです。
ここは逆に、幸福すぎるひとときを過ごして倍返ししてあげましょう!
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