群像劇の定義
群像劇(ぐんぞうげき)とは、多くの登場人物たちが繰り広げる人間模様をテーマとして扱う作品のことです。
一般的には、一見バラバラにみえる複数の物語が終盤に向かっていくにつれて、ひとつに収束していく物語とされています。
なお、群集劇(ぐんしゅうげき)やグランドホテル方式、アンサンブル・プレイなどと呼ばれることもあります。
群像劇の魅力とは?
群像劇が持つ魅力といえば、やはり物事を様々な視点から描き出すことによって醸成される「登場人物たちの魅力」や、複数の主要人物が織り成す「予測のつかない展開」にあるのではないでしょうか。
仮に、登場人物を一側面からしか描き出すことができないとすれば、その登場人物のキャラクター(人間性)は、良い意味でも悪い意味でも読者にとって固定化されすぎてしまいます。
こういった場合、物語に登場してくる人物はどこか現実と比べると平面的にみえてしまって、どうしても愛着が持てない、まさに机上の存在になってしまいがちなのです。
人は素性のしれない人物に対して、警戒心を抱くものです。しかし、そこからは逆説的な仮説も打ちだせるでしょう。
つまり、登場人物のことを知れば知るほど、憎めない部分に気づけるようになったり、自分と重ねられるような共通点を見出していける可能性もあるということですね。
このように、群像劇というのは他の作品群と比較すれば、ストーリーや世界観というよりも「登場人物(キャラクター)」に重点をおいて描かれる傾向にある作品群であることがわかります。
また、一見バラバラに見えていた複数のストーリーたちが、うまく一本にまとまっていく様というのは、読者に様々な気付きを与えてくれることになるので、なんともいえない爽快感に浸ることができるでしょう。
群像劇の具体例(人気アニメや小説など)
群像劇には2種類のタイプが存在していると言われているようです。以下に見やすいよう列挙してみました。
~ 二種類の群像劇 ~
1.舞台や境遇を共通させて、各人物には独立した物語を紡いでいる作品
具体例:異世界食堂(アニメ&小説)、ぼくらの(アニメ&小説)、ガンスリンガー・ガール(アニメ&漫画)
2.舞台だけを共通させて、一見バラバラに見える各人物の物語が終盤にいくにつれて、徐々に繋がりを魅せてくるような作品
具体例:デュラララ!!(アニメ&小説)、バッカーノ!(アニメ&小説)
1つ目の具体例としては、アニメで言えば「異世界食堂」といった作品を挙げることができるでしょう。
「異世界食堂」という作品では、土曜日だけ異世界につながる不思議な飲食店が舞台として登場してきます。
日々、様々なお客さんが異世界から食事に訪れる異世界食堂で、基本的には美味しい料理を食べて帰っていくだけの物語なのですが、訪れてくるお客さん毎にいくつもの短編集が描かれていきます。
そして2つ目の具体例としては、成田良悟による日本のライトノベル『バッカーノ!』といった作品が挙げられるでしょう。
『バッカーノ!』では、禁酒法時代のアメリカを舞台として不死の酒にまつわる事件を中心に、馬鹿騒ぎする人々が描かれていきます。
まさに群像劇といえば『バッカーノ!』や、同作者が執筆しているライトノベル『デュラララ!!』を真っ先に挙げる人も少なくないので、一読して群像劇の虜になってみるのも良い経験になると思います♪
群像劇の書き方・作り方
さて、それでは群像劇はどのようにして書いていけば良いのでしょうか?
結論からいえば、物語を通して横たわっているもの(=事件や願いといった人物を翻弄するもの)を決め、各登場人物と事件や問題に対する反応・利害関係を明確にし、カットバックと呼ばれる視点切り替えを用いるのが比較的簡単だとおもいます。
先程ご紹介しておいた異世界食堂という作品では、「料理に関する様々な記憶」という共通のキーワードが物語を通して隠れ潜んでいますし、バッカーノ!の方でも「同じ電車で事件に遭遇する」といった各登場人物に共通した人々を翻弄するものが、しっかりと定められています。
※カットバックとは、異なる場所で同時に起きている複数シーンを交互につなぐ演出技法のことです。小説の場合は、Aさん視点→Bさん視点→Aさん視点→Bさん視点というように、章ごとに交互に文章を書いていく構成のことを指します。
もちろん、あくまで書き方の一例にすぎませんので参考程度にとどめてほしいのですが、以前に私が群像劇を書いていたときは、半ば無意識にそういった着眼点をもって書いていた記憶です。
ただし、この「物語を通して横たわるもの(=キャラクターを翻弄するもの)」を選ぶのが、結構難しいので注意が必要です。
例えば、多くの人物が関わりやすいジャンルとして「戦争もの」があります。
しかし、ただ単に戦争がキャラクターを翻弄するものだとしてしまうと、人物同士の反応にばらつきがありすぎて、話がまとまらなかったり、場合によっては登場人物同士が出会う必要性すらなくなってしまったりします。
こうなってしまうと、Fateシリーズのような超大作的な作品を書きあげるか、収集がつかなくなって完結できなくなるかしか選択肢がありません。
その上、執筆初心者の頃は完結させる能力がほとんどありませんから、かなり高確率で完結できなくなる危険性を伴うと思われます。
それでは、どのような対策を講じることができそうでしょうか?一つの手段として、もう少しだけテーマを掘り下げてあげるということができます。
例えば、戦争がテーマであったとしても「食糧難」に翻弄される人々を描いた物語にしたいのか、「殺生」に翻弄されている人々を描いた物語にしたいのか、といった具合です。
たとえ別々の場所で別々のことをやっていた人々の集まりだったとしても、同じことを考えているのであれば、主人公たちが集う理由は、必然と生まれてくるはずなのです。
※補足説明
群像劇では、視点の切り替えを頻繁に行うことになります。視点の頻繁な切り替えは、読者の没入感を阻害すると言われているようですが、物は活かし方次第でしょう。
例えば、大学受験の結果を見に来たAさんを描いた直後に、Bさんの日常場面にシフトした場合、読者はAさんの合否を気にしながら、続きを読みすすめる必要に迫られるでしょう。
これをうまく使えば、比較的つまらない説明パートを読者になんなく読み進めてもらうことだっで、できちゃったりします。
この焦らすような心理テクニックのことをツァイガルニク効果というのですが、こういった技法こそ、まさに小説を面白くする基本要素である「不測の展開」を生み出している源の一つになってくれるでしょう。
群像劇を創作する際の注意点
群像劇に特有な性質に、物語の骨組みを作ることはなんとなくできても、文章に落としこもうとしたときに苦労するというものがあります。
なぜなら、書き手が「書きたい情報量」よりも「書ける情報量」の方が、圧倒的に少ない状況に立たされてしまうからでしょう。加えて、説明すべきことや伏線が増えると、プロットに蔓延る矛盾たちが目について仕方がなくなっていきます。
こういった背景もあるので、出来ることならプロットの段階で周囲の人にみてもらって、矛盾点や違和感がないか確認してもらったほうが良いでしょう。
また、最初のうちは矛盾点だけを洗い出せていれば十分なくらいですが、更に厄介な問題として「矛盾解消による個性の破壊」を起こすことがあります。
要するに、たまたま発生してしまったプロット上の矛盾点を解消するためには、キャラクターがやりそうもないことを無理やりさせるしかなくなってしまったというケースです。
これが一度起こると完結すら難しくなるので、正直なところ群像劇の創作は運ゲー感が否めません。
といっても、こういったケースにはどうしても遭遇してしまうものなので、そういった状況に陥ってしまった際には他の人と一緒に解決策を考えてもらったり、不要な設定たちを思いっきり削り落とし完璧さを求めないことによって、物語の腐敗を根本から断つことができるようになることでしょう。
まとめ
群像劇(ぐんぞうげき)とは、多くの人物たちが描き出す人間模様をテーマとして扱っている作品のことです。
主に、登場してくる人物たちの人間性や、複数の主要人物たちが織り成す「予測のつかない展開」には、心躍るものがありますが、書こうとすると難易度は非常に高いでしょう。
もし、あなたも群像劇タイプの小説を書いてみたいと思ったのであれば「登場人物たちを翻弄するもの」を最初に設定しておき、「設定をむやみに作りすぎないこと」や「矛盾を解消するために、キャラクターの個性を殺さないこと」には十分気をつけておくと、書きやすくなる思います。
意外と知られていませんが、伊坂幸太郎さんの小説でもカットバックものの作品は多いので、こういった書きたい作品と似た系統の作品を一読した後に、自作を書き出してみるのもありだと思います♪(*´艸`*)
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