作家の味方

小説家になるための総合情報サイト

 
小説家になるために必要な全ての知識が、いまここに!【Project Creator’s Ally】

天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第二十二章:病人は病気する

説明ページに戻る

 

第三十九節 病人の恋煩い

僕は、銀箔のように鮮やかな、光沢を放つ鯖の切り身を箸先でつまみあげていた。重力に従って垂らされた薄い身がヒラヒラと空を舞う。

 

赤色と生成り色のグラデーションを這い降りる醤油のタレは、朝日の光を一点に集めて、その雫を滴り落としてみせた。

 

刺し身を白米の上にそっと乗せると、下敷きになった米粒たちが芳ばしそうな褐色に染められる。

 

僕は、持っていた朱色の箸で切り身の両端を押さえつけてみると、くるりと白と茶色の混じり合ったつぶ達を綺麗に纏めて掬い上げた。とろける口当たりで、旨味が口内に広がっていく。

 

「美味しいですね!」

 

木製のローテーブルを挟んだ向かい側には、そよ風のように流れる髪を寝癖でふわふわとさせている少女が一人、小さな手で箸を持って、目尻に幸せと明るさを宿らせていた。僕は今、きっと何処かの誰かよりも、幸せだ。

 

自分の愛する人と、美味しいものを食べている。それが幸せだということくらい、誰の頭にでも想像できるものだろう。逆に、なんでこんな単純な事がわからなかったのだろうか。

 

僕はずっと考えていた。自分にとって、幸せとは何なのか。これから先の人生をどう使おうか。いまの自分が本当にしたいことは何か。

 

最初に思いついたのは、未知に踏み込めば、幸せになれるのではないかというものだった。僕は、自分自身が未知を求めて結衣と共に逃げることを決めたのだと思っていた。

 

でも、実際はそうではなかった。僕は、結衣と夜道で出会った時、心の奥底では結衣と、もう少しだけ一緒に居たいと思っていた。見たことのない物語を体感してみたいと思っていたんだ。

 

重要なのは未知ではない。結衣の言う通り、自分にとっての未知は僕らの力では創り出すことはできない。それでも、誰かの笑顔を産むための未知を創り出すプレイヤーとして生きていくことはできるんだ。欲望に、忠実に。

 

他の旅行客も目を続々と覚ましているのだろうか。脳内の雑音で聞こえなくなっていた僕の耳にも、ガタガタと配膳に追われている女官達の足音、ヒソヒソと子供連れ客が子供のトーンを抑えようとする音、天井でくるくると回っている冷房ファンが風を斬る自然な音色が響き渡ってきた。

 

拾い上げられるものを、すべて拾い上げていた頭の中にゆとりのある空間が広がっていく。

 

僕はご飯茶碗からご飯を一粒も取り残さずに平らげると、畳に背中を付けて仰向けになっていた。鹿威しの音がこだまする。縁側の向こうでは竹の葉たちが擦れて、鳥の囀りと共にオーケストラを奏でている。

 

「ラ~、ララ♪」

 

話し声とは少し違った結衣の澄んだ歌声に、新鮮さを覚える。彼女らしさの残る声色には、人を、僕を、笑顔にするエッセンスが詰まっているような気がした。

 

僕の望む結末は、彼女の思いを叶えることだけだ。散々、迷ってきた。でも、いまの僕にはそれ以上の幸せなんてものは最初からなかったんだ。

 

脇腹を十本指で攻められる。くすぐったくて、奇声のような変な声が漏れそうになる。

 

「新さん、私、死んでも新さんを幸せにしてみますからね! 覚悟しててください!」

 

縁起でもないことを言うなよ、と僕は笑いながら返すと、右手の小指を不器用に突き立てて、結衣と契を交わした。

 

「約束だからな?」

 

「はい! 約束です!」

 

彼女は付けていたラッコの髪飾りを小さな拳に握りしめると、僕の胸の前に突き出してきた。

 

神社で売っているお守りというのは、自分で買うより人に買ってもらった方がより効果が高くなるらしいが、同じ理屈で言えばお守りという形式をなしていなくても、人が愛情を込めて託してくれたものこそが最高のお守りなのではないだろうか。

 

[第二十一章へ]  ≪ ー・ー ≫  [続きを読む]

 

[講座説明に戻る]

コメントを書き込む

*

CAPTCHA




Return Top