作家の味方

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天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第十八章:次は必ず

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第三十節 本当の願い

やってしまった。

 

私は、花火大会での出来事を思い起こしながら、広い石畳が特徴的な温泉旅館で、立ち上る雲のような湯気と共に瘴気を昇華させていた。

 

まさか、好きになった男の人に告白されるという展開は予想していなかった。驚きすぎて、その場でフリーズしてしまうとは情けないの一言に尽きる。微かに柚子の良い香りがする液体が私の肌を滴り落ちてゆく。

 

湯船に浸かるのは久しぶりのような気がした。病院のお風呂というのは、なんだか落ち着かなかったからだ。すくいとった透明の温水は、露天風呂の照明を反射して、その色を白く濁らせると私の両手から、少しずつこぼれ落ちていった。

 

でも……素直に嬉しかった。私が生きていることを認めてもらえたようで、言葉にできない温度が伝わってきた。暖かく感じたのだ。

 

私は、死期を前にしても本当にやりたいことなんて大層なものは見つけられていなかった。もしかすると、そんなものは最初からなくて、ただの思い込みや幻想の類いだったということもありえるのかもしれない。

 

私たち人間は知らないから、わからないからこそ物事に興味を持つ。中身をすべてネタバレされてから見る映画が、格段に面白くなくなってしまうのと同じようなものなのだろう。だとすれば、自分自身がやりたいことも本当はわからないままのほうが幸せなのかもしれない。

 

そろそろ曲を作らなきゃ。あの人を幸せにするための、私を幸せにするための、私にしか作れない最期の言葉を紡いでみせるんだ。

 

第三十一節 画竜点睛の思い

瀬田警察署で天宮結衣と詠井新の関係性を暴くために、私は天宮結衣が病院で使用していたと思われるパソコンの履歴に目を通していた。が、結論から言えば、天宮と詠井の関係性につながる証拠を見つけることはできないでいた。それどころか、調べれば調べるほど関係性が無いことがわかってきた。

 

「ダメだ」

 

項垂れていた私の視界の右から、コツンっという音が入り込んだ。視線の先には、帽子を装着すればタクシーの運転手といわれても気づかなさそうな清潔そうな身なりの部下が、缶コーヒーを持ってきてくれていた。

 

「お疲れ様です。東雲警部補。携帯、さっきから鳴ってますよ」

 

入真巡査か。私は、机の上で定期的にピコピコと通知音を上げていた自分の携帯に目を落とした。

 

「あぁ、わかってる」

 

ボタンを押すと暗転していた画面は明るさを取り戻して、妹からのメッセージを表示する。

 

「瑞葉お姉ちゃん。夕飯までには帰ってこれそうなん?」

 

両親を早くに亡くしていた私の家族は、妹だけだった。大切でかけがえのない妹だからこそ、私はなんとか自立できるように教育してきた。私はメッセージを返す。

 

「夕飯くらい自分で作るか、用意できるでしょ? 子供じゃないんだから」

 

妹には強く生きて欲しかった。きっと、この先沢山辛い思いをすることだってあるはずなのだ。本当はたくさん甘やかしてやりたいし、仕事がなければ姉妹で一緒に遊びに行きたいという気持ちだってある。

 

メッセージに既読がつくと、それから携帯の通知音が鳴ることは無かった。

 

正義を貫きたいという意思は、逆転させれば悪の存在を心待ちにしていることになるのだろうか。現実には、望もうが望むまいが毎日のように事件は起こっているわけだし、当然そんなことを考えていたわけでもないのだけれど、自分のやっていることが本当に正しいかなんて、間違っていたかなんて誰にもわからない。

 

「東雲警部補。もう遅い時間ですし、今日はこの辺にしておきましょう。続きは、やっておきますから」

 

今日は朝からかけずりまわっていたせいで、心身ともに疲れ果てていた。私は入真巡査の提案に乗ると、明日の自分に一人の少女の命を託すことにした。

 

「そうだな。今日は先に上がらせてもらうよ」

 

事件の解決が難航してしまい自分の能力不足を悔やんでいた私は、机の鍵を掛け忘れていないか確認すると、私は立ち上がって忘れ物がないかチェックした。カレンダーには、今日の日付と「千里ちゃん13歳の誕生日」の文字が並んで書き加えられている。

 

あぁ、やってしまった。捜査に夢中になるあまり、今日が妹の誕生日だということをすっかり忘れてしまっていたのだ。これでは、警察にも姉にもなれていないではないか。

 

第三十二節 神の論理

暗い座敷は半開きになった襖越しに漏れ出てくる月光と、部屋の隅に置かれている行灯に照らされていた。まだ折り畳まれている敷布団の上に置かれていた枕は堅く、寝心地は保証できなさそうだ。

 

僕は、布団の束に寄りかかると一人で自分にとって最高の人生の終え方について天井を見ながら考えていた。世界的に見ると日本は豊かで、治安も良い。にもかかわらず、その幸福度は低いとされているのは、非常に不可解なことだ。

 

確かに、経済レベルからは考えられない程の長時間労働や周囲の人間が不幸に感じているという影響が伝播することは想像に難くない。ただ、欧米諸国と比べて、ここまで幸福度に差を付けられるのは何故だろうか?一説によると、宗教に対する認識の差が挙げられるらしい。

 

下弦の月は流れる雲に飲み込まれてゆく。月の満ち欠けと共に、天宮の存在が離れていくようで、少し不安を駆り立てられていた。

 

僕は、夜道で天宮に拐う前に考えていたことを思い出していた。自分で作り上げた不信や限界に打ち勝って、ゲームの「プレイヤー」であり続けられる人たちだけが、ゲームを心の底から楽しむことができる。

 

数学者といった科学サイドの人間からすれば、宗教理論というのは相容れない存在であるかのように思うのだけれど、納得がいかないというほどでもなかった。いや、むしろ道理が通っていたというべきだろう。

 

何度も言う通り、幸せになるために大切なのは「プレイヤー」で居続けることだ。宗教というのは、幸せになるという恒久的なゴールへ向けて修行というゲームを用意するという構造をはらんでいる。つまり、宗教を信じていれば修練者というプレイヤーであり続けられるだけではなく、幸せになるという明確な目的さえも与えてくれるのだ。

 

もちろん、これは一学生の妄言に過ぎない。ただ、幸せを追求する上でやはり「プレイヤー」であり続けるということは大切なことなのだろう。戸をコツコツと叩く音が、座敷に木霊する。

 

そこには、浴衣を身に纏ってる天宮がひっそりと佇んでいた。鮮やかな朱色の織物には、水面に垂らされた白い絵の具のように咲き乱れている華たちが花火のように開花して並んでいる。

 

「新さん……」

 

襖に寄り掛かる天宮の髪は、しっとりとした曲線を描いていて、お風呂上がりで血行が良くなっているのか肘や頬を桃色に染めている。天宮は、双眸を左に揺らして続けた。

 

「その、もう少しだけ一緒に居てもいいですか?」

 

行灯からあぶれる橙色の明かりは、僕と天宮を闇夜と共にそっと包み込んでいた。

 

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