作家の味方

Project Creator's Ally

天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第九章:甘えたくない

説明ページに戻る

 

第十五節 幸せという名の何か

車に戻った天宮は、急に胸を押さえつけると激痛にうなされていた。かなり発汗している。やはり、今すぐにでも病院に連れて行くべきだ。僕は、そう思って携帯を取り出したのだけれど、天宮にその腕を握られてしまった。

 

「ダメ! 戻りたくない」

 

「でも……、大丈夫なのかよ」

 

天宮は、頭を縦に振る。発作のようなものなのだろうか。しばらくすると少し落ち着いたのか、天宮の息切れは徐々に回復していった。彼女が呟く。

 

「私、ちょっとはしゃぎ過ぎたかな」

 

てへへ、と笑ってみせる。「だろうな」と思う。それは僕も含めてなのだけれど。後部座席でしばらく安静にしておけ。とだけ残すと、僕は運転席に戻った。僕にできることなんて、高が知れているというのに。

 

「私の病気ね。心臓が悪いらしいの。もう長くないんだって」

 

天宮の声は明るさを帯びていたけれど、かすかな震えをまとっているのだけはわかった。

 

「ときどき胸を刺す様な痛みがあるんだけど、数分経てば治るから大丈夫。ごめんなさい。心配かけて」

 

謝る必要なんてない。少しの安堵と共に、僕はこめかみを指で挟みこんで頭蓋を支える。こんなことをしてて、許されるはずがない。消したはずの自責が、ゾンビのように舞い戻ってくる。

 

「私ね、どうしても作りたい曲があるの。生きてるのって、なんだかんだで辛い事も多いと思うんだけど、そんな時間が一瞬でもまぎれるような。そんな曲。もう、無理なのかなー……」

 

一瞬、言葉がうまく出てこなかった。僕にできることと言えば、ただ話を聞いてやるくらいだ。いや、それすらもできていたのだろうか。慎重に口を開く。

 

「わからない。でも、僕は聞いてみたいと思う。なぁ、曲なら病院でも作れないのか? そしたら、少しでも……その」

 

天宮は、バックミラー越しに首を横に振って見せた。

 

「ううん。病院じゃ、どうしても書けなかったの。人が聴いて幸せになる曲が」

 

人を幸せにする曲、か。作曲のことはよくわからないけれど、ある意味で深淵な題材だということ素人の僕にでもわかった。

 

数学の世界にも、「幸せの数式」なるものもあったような気がするけど、中身を覗いてみればただの子供だましだった。一度、本気で考えてみるのも人類にとって有益なのかもしれない。それに、絶賛人生迷子中の僕にとって、その話題には興味をそそられた。大ありだ。

 

「それで、なにか手がかりは見つかったのか?」

 

彼女は額を車窓にピタリと付けると、小さく頷いて見せた。驚いた。ここ数日、自分自身が悩みに悩んでも出なかった答えだったのだ。ただ、そこには一つの注釈がつけられていたのだけれど。

 

「でも、これ以上は手を伸ばすのが怖いかな」

 

僕には、その言葉が指している意味はわからなかった。ただ、これで一つわかったことがある。僕がすべきことは、彼女の曲を早く完成させて病院に帰すことだ。それまでは、帰らせるわけにはいかない。

 

「手伝わせてくれ。どうすれば、曲が書きやすい?」

 

僕はハンドルを強く握ると、着信音の鳴っていた携帯の電源を落とした。時間は、僕らを待ってはくれないのだから。

 

[第八章へ]  ≪ ー・ー ≫  [続きを読む]

 

[講座説明に戻る]

コメントを書き込む

*

CAPTCHA


本気で小説家を目指す方向け!



Return Top