作家の味方

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天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第七章:約束された逃避行

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第十一節 幼少期は謎を解く

私は、縁取りがくっきりとしている透明なプラスチック片の上に、黄金のぷるぷるを乗せて口へと運んでいた。唇に淡い感触が伝う。まろやかな甘味の匂いは鼻筋をすーっと駆けぬけて、巡り、口の中に溶け出していった。

 

「うまい、か。よかった」

 

彼はそういうと、寝癖頭のまま私の頭にぽんっと手をおいた。彼の大きな手は飼い猫を撫でるように、私の髪をなぞる。少しくすぐったいけれど、生まれ変わるとするのなら、案外飼い猫か何かになるのもいいのかもしれない。少しだけ、はにかむ。

 

子供の頃、風邪を引いて学校を休んだとき、包まっている布団の横にお母さんが置いてくれていた経口飲料のボトルを水滴が伝う景色が脳裏に蘇る。些細だけど、この短い人生でも十分すぎるほど幸せな思い出だ。

 

幸せというのは、きっと人に甘えることなのだと思う。頑張って作った曲が人に認められるというのは聞こえがいいけれど、実のところ変に考えすぎて複雑化してしまっているだけで、自分の期待や、それを超えたリアクションが当たり前のように帰って来るという安心できる環境が欲しいのだ。

 

それはもしかすると「自分の居場所」ともいわれるものなのだろうか。プラスチックのスプーンと、空の容器が没収される。

 

「体調は、悪くないか?」

 

こくり。と頷いてみせる。体調は、本当に悪くなかった。でも、やっぱり心苦しさはあった。きっと今頃、病院は大騒ぎになっているはずだし、彼は私のせいでいろんな人に責められてしまうかもしれない。思わず。呟こうとして、声を遮られた。

 

「謝らなくていいよ。僕は、僕の意思で今ここにいるんだから。それにね、久々に生きてて楽しいんだ。ありがとう」

 

お礼を言われた。不思議な人だ。彼はにっこりと笑うと、私の口元をティッシュで不器用に拭き上げた。

 

車道の両脇で、黄金の海は大きく波を立てている。彼は、丈のある背中を向けるとエンジンをかける。そして、車が出す騒音よりも楽しげに続けた。

 

「助けるよ。ちゃんと」

 

第十二節 わがままたちの協奏

車窓を彩るのは、濃淡のある一面の青色だった。それを綺麗に縁取るように白いガードレールが、錆び模様をまだらに浮かべている。

 

海鳥の声を運ぶ潮風は、早朝のやわらかな感触で肌を撫でる。僕は、捲くっていた緑色のセーターと白いシャツの裾をくるくると降ろした。すると、左耳に少女速報が届く。

 

「うわぁ! 綺麗……。空気も澄んでて、気持ちがいいですね!」

 

あるはずもない彼女の尻尾が、ぶんぶんと音を立てているような。そんな声色だ。少しだけ、車の速度を落としてやる。左をちらり。こりゃあ、絶景だ。

 

といっても、僕には窓の外ではなく、はしゃぐ少女の華奢な背中しか見えていないわけなのだけれど。

 

「あ、鳥さんがうんち落としました!」

 

「シートベルトは、ちゃんと付けろよ」

 

小刻みに揺れるバックミラー越しに、彼女の視線が注がれていることに気づく。絹肌についた大きな瞳が、こちらを伺っている。僕の顔面にナマコでもついているのだろうか?

 

「新さん。昨日は、ありがとうございました。でも、どうしても確認しておきたいんです。これで本当によかったんですか?」

 

彼女は少し目を泳がせながらも、しかしはっきりと音を発した。

 

なるほど。彼女も幼い頭なりに、迷っているのだろう。自分のわがままに人を巻き込んでしまった。どうすればいいのだろう。そんなところだろうか。

 

正直、僕には彼女を病院に引き渡すこともできたはずだったし、いまから引き返すことだってできた。自首するのだってそんなに難しいことではないだろう。

 

では「何故こうして逃げているのか?」と問われれば、それは僕も知らない僕の感性の部分が、他の何者でもない「この物語」を渇望していたからだ。全身が、心の奥底が、そちらへ向かえと言っているような気がした。もしかすると、入院していた頃の自分と彼女を重ねていたのかもしれない。自分がしてほしかったことを、やってあげたかった。

 

それに、昨日の夜に彼女の飲んでいた薬剤は予想通りかなり強力なものだった。最初はスーパーまで気分転換をさせてあげようとも思っていたのだけれど、彼女はもうそう長くは生きられないのだろう。彼女を心配させないように、僕は笑顔を創りだした。

 

「いったろ。僕は、君を助けたいんだ。それが僕の、わがままなんだよ」

 

それに、刑法224条的な体験なんて滅多にできるものではないからね。と、僕はそう付け加えた。彼女は、スマホの画面で刑法を調べると、あぁと納得したかのように首を小さくはずませる。クスッと笑った。

 

「私たち、お揃い。なんですね」

 

あぁ。そうとも。とんだ問題児だ。山道をのろのろと走っていた僕たちは、面白いものを見かけると緩やかに車を止めて、その旅足を休めることにした。

 

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