作家の味方

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天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第六章:はじめての誘拐生活

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第九節 ボーイ・ミーツ・ラッコ

ブロック塀を乗り越える方法は、大きく分けて二つあった。一つ目は、シンプルによじ登るという方法だ。私の背丈と大差ないブロック塀なのだから、手を伸ばせば、そのままブロック塀の最上段を掴むことくらいはできる。

 

私は長い髪を後ろにまとめると、不審者から貰ったラッコちゃんで束ねあげた。皮肉にも、現在進行形で不審者の私にはピッタリのはずだ。ブロック塀へ向けて、助走を付ける。手は届いた。そのまま、自重を支え、きれっれっばっ!

 

私の腕は、そこで力尽きた。自分の身体が持ち上がらなかった。樹木を伝う雫たちは、そんな私のこともお構いなしに雑音を奏でている。

 

よし、次だ。力不足であることを想像するのは、何も難しいことではなかった。最初からこうすればよかったのだ。ブロック塀を乗り越えるための「足場を作る」という方法だ。

 

ただ、室外機は動かせないし、排水溝の蓋だと高さが足りない。ゴム製のカラーコーンは、きっと体重でつぶれてしまいそうだ。

 

いま越えようとしている塀の向こうからは、電線を駆け回る雀たちの囀り声や、乗用車のタイヤが水溜りを踏んだあとに訪れる微かな反響音が、交じり合いながら漏れてくる。自然と人工物の合成音だ。

 

そうか。私は軽い赤のカラーコーンを急いで手に取ると、その中に、土をつめ始めた。こうすれば、頑丈なカラーコーンが作れるっ!

 

幸い泥まみれになったのは、手だけで済んだ。私はお手製の強化カラーコーンに上ると、階段のようにしてブロック塀から半身を放り出す。

 

と、その瞬間、私の視界は真っ白になった。もっと正確に言えば、光源が眩しすぎて目をやられてしまったというべきかもしれない。まずい、バランスが崩れる。痛みを覚悟した私が、そこで得た感触は暖かくて、懐かしいようで、何故か安心できるものだった。

 

私は瞼を開ける。そこには、癖毛が目立つ青年の心配そうな顔があった。

 

「大丈夫? 痛むところは無い?」

 

頷いてみせる。よかったぁ、と表情を緩ませた彼の目が笑う。人の暖かさが伝わってきた。

 

人生がどうせあと少しで終わってしまうとしたらなんだってできそうだ、と本気で思っていた。でも、それは大きな間違えで、気づいた頃にはもう手遅れだってこともある。

 

人生があと少ししかないということは、たった一度きりの一目惚れさえも、その正体を最愛の人の生傷へと変えてしまうのだから。

 

それでも、私は声を上げた。

 

「助けて、くれませんか?」

 

第十節 朝焼けのファンタジア

ふと目蓋を開ける。最初に目に入ってきたのは眩いオレンジ色の光と、サイドミラーに映ってゆらゆらと身を揺らしている稲穂たちだった。そうだ。僕は寝ていたのだ。寝癖が生えている頭を掻く。

 

昨日の夜に起こった出来事を思い返すと、僕は冷や水を頭から被ったように目を覚ました。辺りを見回す。

 

道の両脇では、稲穂たちが身の粉を振るっているだけだ。どうやら、一本道の見事なカントリーロードを宿泊地としていたらしい。僕は、思わずラジオをつけた。ピッ。

 

「えええ、夫のパンツが8万円!?」ピッ。「夜~は~、明けずに~♪」ピッ。「昨日未明、新宿駅周辺で立ち尽くしていた血まみれの女性は…」

 

……違う。

 

僕は、ほんの少し肩の力を抜いた。そりゃあ、人が殺されたわけでも、ましてや誘拐だという決定的な証拠だってまだ揃っていないであろう現段階で、自分の情報がメディアにばら撒かれているなんてことはないのだろうけれど。それでも、ひとまずは安心した。

 

だが、それは時間の問題でもある。最初こそ、ブロック塀から大和撫子というのは、棚から牡丹餅の類義語としてはピッタリじゃあないかと、浮かれポンチな思考を巡らせていた己だったわけだが、思い返してみると、あほらしくなってくる。

 

それどころか、正真正銘の犯罪者である。カムバック、マイ・スイート、人生なのである。

 

車体に引っ付いているデジタル時計は、六時二分から六時三分へと数字を変形させる。そういえば、彼女は大丈夫だろうか?冷えているということは、無いだろうけれど。

 

視線を座席の後ろにもってゆく。僕は、後部座席で姿勢を横にさせていた少女に声をかけた。

 

「朝だぞ。おきろー」

 

「んっ……」

 

毛布の塊が、一瞬ピクリと反応した。くるりと小さな身体が回転する。彼女は、そのか細い両手で纏っている毛布の端を掴むと、陶磁器のような鼻を隠してこちらへ丸い目を向けてきた。表情をニコリと変える。

 

「おはよー、ございますっ」

 

前髪がひらりと落ちて目を直撃していた。

 

「んっ」

 

張り詰めていた心の氷が溶け始めていく。昨日の夜スーパーで買った黄金のプリンで、彼女を餌付けしてみることにしよう。

 

こうして僕は、誘拐犯デビューを果たしたのである。

 

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