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天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第四章:それぞれの親子丼

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第五節 心に秘めていた具材

人間、一度瀕死になったからといって、人生が劇的に変わることはない。一時は生死の淵を彷徨っていた僕もまた、退院後といえば、大学へ通い。学び。そして、病院での検診を終えて、家の床に足をつけていた。

 

コンロのスイッチを捻ると、舌打ちのような音が数回。耳を吹かれたような着火音と時をずらして静かな部屋に響きわたった。夕食の時間である。買ってきた玉ねぎをシャクシャクとリズムよく刻むと、潤った生野菜の香りがキッチンに充満する。

 

換気扇を付け忘れていたようだ。スイッチを押すと、ボロ屋らしい轟音を立てながら、その小さな羽根が回り始めるのを確認する。

 

高校時代にアニメや映画、小説、音楽、ゲームなどのあらゆる創作物の影響を受けていた僕は、自分もいつか何かを作ることで人の心を少しだけでも動かして、誰かの明日へつなげることが出来れば嬉しいなと考えていたのだと思う。

 

取り出した鶏のもも肉のぷりっとしている身の部分から、僕は規則的な小さな正方形を創り出す。

 

ただ、現実はそこまで甘くなく、大学進学や就職活動というのは考えがまとまるよりも早く、僕たちに選択を迫ってくるものだ。

 

何かを作って人の心を動かしたいという気持ちにたとえ嘘偽りがなかったとしても、上手に絵を描くスキルなんてものは持ち合わせていないし、小説を書くスキルだって凡庸なものだった。僕に備わっていた唯一の武器といえば、学力くらいだろう。

 

小鉢に貯めていた熱い出し汁は、湯気を立てて玉ねぎともも肉の来訪を心待ちにしているように見えた。菜箸で刻んだ玉ねぎともも肉を追いやる。

 

学力が高いならいいじゃないか、羨ましい。と妬まれるかもしれないが、それは隣の芝生は青いというものに他ならない。

 

表現者としての人生を歩みたい僕を待ち構えているのは、サラリーマン生活という組織規範にぐるぐる巻きにされる表現の自由を奪われた数十年間と、満員電車で足腰を痛める不安に変わりないのだ。

 

鍋の中では、小さな気泡が生まれて消えるのを繰り返している。焦げ目がつかないうちに、卵を割る。パカッ。という音と共に透明な、どろっとしたものがボールに落ちて同化した。

 

フリーランスや自営業をやればいいじゃないか。と思うかもしれないが、実際に手探りしてみて思った。少なくともいまの僕には無理そうだ。

 

そもそも儲けを出す仕組みが上手く回る補償はどこにも無いし、精神的な安寧すらも損なわれてしまう。それでいて、意外と重労働だったりする。趣味を仕事にするというのも、なかなか大変ということだ。

 

黄色い丸を崩すようにシャカシャカと掻き混ぜ終えると、小鍋をきつね色に染めてゆく。心なしか、気泡の音が大きくなった。

 

そんなことを考えていると、もう何を考えても無駄に思えてきてしまう。もちろん、考えなければ辛いことは避けられるのだろうけれど、きっと僕の人生は後悔ばかりが残ることになるだろう。八方塞がりだ。

 

自分はどうすれば幸せになれるのだろう。

 

その芳醇な香りを放つ鍋と思考の扉にそっと蓋をして、僕は親子丼が煮えるのを待つことにした。

 

第六節 鳥籠から見た景色

今日の病院食は「親子丼」らしい。七〇八号室のベッドに背中を預けていた私は、診察の後、こうして小説を読むことに決めていた。

 

正義と悪が打ち消しあうように、忘れたい現実には忘れられない理想をぶつけてやるというわけだ。もっとも、私の場合、激痛を伴う治療は今のところなかったので、死期以外におびえる必要もないのだけれど。精神安定剤の代わりのようなものだ。

 

窓に、小鳥が出入りできるくらいの隙間を作ると、白網のカーテンはその身をひらりと泳がせてみせた。小鳥さん、来ないかな。

 

「天宮さーん、ご夕食のお時間ですよー」

 

看護師さんの声がかかる。「そろそろ夕飯できたから、降りてきなさーい」という台詞と「お風呂沸いたから、はやく入りなさーい」という台詞は、そのどちらも聞きなれたものだけれど、絶妙にイラつく言葉ランキング一位と二位だと思うのは、私だけだろうか。

 

そんな私の心中など知る由も無く、その名札に「桜木」と書かれている看護婦さんは、ベッドに備え付けてある私のテーブルの上に病院食をセットした。

 

「さぁ、たんまりとお食べ!」

 

やっぱり、この人は少しおかしい。患者の前に食膳を配布したあと、一人でご飯を食べられないわけでもない患者を舐めまわすように観察する、このおばさんは、きっと不審者の系譜を辿っているに違いない。

 

「あの、見られていると、食べにくいのですが」

 

そういうと、私はこのおばさんから解放されると思っていた。しかし、どうやら考えが甘かったらしい。

 

「大丈夫、大丈夫、盗らないから安心して」

 

と、にっこりされた。帰らないのかよ!と言いたかったけれど、流石にぐっとこらえる。さては、次の脱走計画を邪魔するための監視役なのかな?適当にあしらう事にしよう。

 

それから幾ばくかの時間が過ぎて、病院着を着ていたはずの私――天宮結衣は、何故か、薄灰色のワンピースに身を包んでいた。ベストオブ桜木賞を授与されたラッコの髪飾り付きである。

 

どうしてこうなった?




 

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