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天宮結衣のQ.E.D. ~幸せのクオリア~ – 第一章:天宮結衣は、点Pを待つ

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第一節 点Pはどこへ行く?

その日の朝、僕は図形の上を独りでに爆走している点Pの勇士を追いかけて、ひとつの解答に辿り着いていた。数学の講義中のことである。

 

問題文の中に度々登場し、受験生に憎まれ口を叩かれがちな点Pだが、彼らは大学数学においても独自の進化を遂げて行く。ある条件をきっかけに、とち狂ったような挙動をみせる点P、間が悪くなると姿を眩ませてしまう点P、僕たちを取り残して五次元に左遷されてしまう点Pなど、そのバリエーションは実に様々だ。

 

彼らのいちいち無駄にドラスティックな体験談には心踊らせられるものがあるが、対照的に自分の人生がいかにつまらないものであるかを見せつけてくる。

 

何故、僕がそんなことを考えていたのかというと、就職活動を行う上で今後の人生をどう生きていきたいのかを問われていたからだ。

 

さしあたって、当面の課題は「僕は点Pのように、ドラスティックな日常に身をおきたいので、御社を志望します」という言葉を如何に自然に伝えるか、というわけである。なあに、学年主席である僕にかかれば、お茶の子さいさいである。もっとも、そんな就職先があればの話だが。

 

講義の終わりを告げるチャイムが鳴ると、隣でモアイ像の落書きの大量生産をしていた友人の大岩が、目を輝かせて僕に尋ねてきた。

 

「右モアイ、左モアイ、ドッチガカワイイト、オモウ?」

 

僕は気づかないうちに数学科ではなく、モアイ科の授業を受けさせられていたのかもしれない。興奮のあまり彼の眼は血走っていて怖い。

 

大岩 模合。その名前負けしないその屈強な肉体と日本人離れした彫りの深い顔、トドメのモアイ趣味にキャラの濃度を疑うが、親切で頼りになるモア……親友だ。

 

いつも通りの大岩の言動に半ば呆れながらも、僕は右を指差した。右のモアイは、正座していてお行儀がよくみえたのだ。

 

「ヤッパリ? オマエ、ヨクワカッテルワァ!」

 

大岩は首を捻り、その重厚な指を僕に指し向けてひとたび関心してくれたようだ。彼の中で、僕は一体何を理解したことになっているのだろう。

 

そういえば、彼も将来のことをそろそろ考えている頃なのだろうか。僕は大岩こと、通称ビッグに一抹のヒントを求めることにした。

 

「ビッグは、どんな業界に就職するか決めたか?」

「モアイ!」

 

なるほど。モアイは「未来に生きる」という意味を持つ言葉と聞いたことがあるが、そう考えると彼にはピッタリの言葉なのかもしれない。

 

身支度を終えて教室を出た僕は、ボディービルのトレーニングセンターへ向かう大岩と足先を異にした。いつもはスカスカの僕のスケジュール表だったが、今日は珍しくとも歓迎しがたい用事が入っていたのだ。

 

退院後の検診というやつである。

 

第二節 待ちぼうけの天宮結衣

「天宮結衣さん、ですね。どうぞ、こちらへおかけください」

 

私は、看護師さんの子供をあやすような声に誘われて、病院の真っ白で大きなドアの向こうへと足を運ばせていた。足取りは、自然と軽い。唯一つ、驚いたことがあるとすれば、お母さんとお父さんが揃いもそろって、診察室にいたことくらいだろうか。

 

お母さんの振り向いたときの顔といえば、お父さんに薦められて買った株式が暴落したときの顔と似ていて、お父さんの表情はといえば、便秘気味といった感じである。ちょっと場に不釣合いな笑みを浮かべてしまった。というのも、私はこの診察室で、自分の耳にどんな情報をもたらされることになるかを知っていたからだ。

 

人生を有意義に過ごすという謳い文句の一つに、「明日、死んでも後悔しないような生き方を歩みましょう」という言葉がある。

 

しかし、どうだろうか。実際のところ、そんなことを真顔で言われても、それこそ無益な情報共有のように感じてならない。そんな記事を読んでいる時間があるのなら、もう少し有意義な時間の使い方をするべきだと思うのは私だけだろうか。

 

もちろん、そう考えてしまうこと自体を否定しているわけではない。縋りたくなる気持ちもわかる。ただ、私は思ったのだ。思ってしまったのだ。人生というものが、そんなに有益である必要は果たして、どこにあるのだろうか、と。

 

診察室に迎えられた私は、無駄に白まみれの部屋に落ち着きを持てないでいた。もし許されるなら、今すぐこの部屋をトマト色に染め上げてしまいたい。院内行事としてスペインで行われているトマト祭りを奨励させてほしい。

 

コホン、と咳払いをした壮年の医師は白衣の袖をまくり眉の形をやわらかくして、座っている私の方へと視線を向けた。

 

「その後、調子はどうだい?」

 

「あまり変化はないです。時々、めまいはありますが、それ以外は特に」

 

ふむふむと、壮年の医師がうなずいてみせる。

 

「お嬢さんは、いまいくつになるんだっけ?」

 

「今年で十七、です」

 

その医師は問診表で既に知っているはずの情報を私からわざとらしく引き出すと、少しばかり顔を綻ばせて続けた。

 

「そうかいそうかい、実は私の子供も丁度いま君と同じ十七歳でね。男の子なんだけど」

 

でた。と思ってしまった。私は、きっとこの話の続きを知っている。たぶん、終わりの合図は「君もがんばってね」だ。別に、この会話自体に文句は特段無いのだけれど、この手の話は無駄に長い上に何度聞かされたかわからない脅威のリピート率を孕んでいると思う。大人のみんなには注意して欲しい。

 

医師の話をしばらく聞いてみた感想はといえば、拍子抜けの一言に尽きた。「君もがんばってね」と診察室を追い出されたのは予想通りだったのだけれど、どうやらもう一つの想定は、はずしてしまっていたらしい。両親への病状開示が、嘘偽りで塗り固められていたからだ。

 

診察室から入院している病棟へ向かう足取りは重くなっていた。肩透かしを食らった気分だ。私、天宮結衣は人生が残り一週間もないことをもう覚悟していたのだから――。




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